それより本作で注目したいのは、「親になりたがる男たち」のオブセッションである。先行作で、祝福されるものになった子どもの存在だが、『騎士団長殺し』ではさらに、主人公の男性とその隣人がどちらも、進んで父親になりたがる。

 ここであらすじを紹介しておくと、主人公の「私」は三十六歳の肖像画家。妻の「ユズ」がよそのイケメンとくっついて離婚を宣告、「私」は日本画家「雨田」の山荘を借り、絵画教室で教えながら暮らすが、あるとき屋根裏で「騎士団長殺し」と題する雨田の作品と出会う。飛鳥時代の果し合いの図で、高位の人物が剣で突かれて夥しい血を流している。モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」の一場面が、日本の画題に“翻案”されたものだと「私」は気づき、ここから物語は、現実と非現実、無と有の境を彷徨うようになる。古井戸のような謎の穴が発見されたり、この穴が深層で別な世界と繋がっていたり、絵からリトルピープルが出てきたり、がいなくなったり、過去作のモチーフやアイテムも満載である。

 隣人に、「色を免れる」と書いて「免色」という謎の人物がいる。露骨に「色彩を持たない多崎つくる」を想起させる姓だが、正体不明の男だ。莫大な資金力で、ネットなどから自分の足跡を悉く消しているらしい。彼が固執しているのが、不動産業者「秋川」の十三歳の娘「まりえ」で、彼女の生物学上の父は自分では、と思っている。突然自分のもとを去って秋川と結婚した恋人との最後の交わりで授かった子では……と。事実、数年前に事故死した元恋人からも、「あなたという素晴らしい存在が、どこかでより長く豊かに引き継がれていくことを」願うという、意味深な手紙が死後に届いていた。このときから、結婚も、子をなすことも避けてきた男のなかに、急にむくむくと「子孫を残す」本能が頭をもたげてきたらしい。自分は「ワンセットの遺伝子を誰かから引き継いで、それを次の誰かに引き渡すためだけの便宜的な、過渡的な存在」だと免色は言い募る。村上の愛する『グレート・ギャツビー』の主人公のごとく、まりえの家の近隣に建つ屋敷を強引に買い取って引っ越してくると、いまは双眼鏡で、まりえの家を窃視する日々だ。まりえの父は妻の死後、新興宗教にはまって財産を絞りとられているとか。免色は最終的に、まりえの実質の保護者である叔母「笙子」を籠絡して結婚にもちこむ気配(第2部はここまで)。結婚後、まりえを養女に迎えれば、免色は「娘」を手に入れることになろう。

 主人公の方も、別の男と付き合うユズが宿した子は、自分の子だと思いこむ。夢のなかでユズと交わった際に妊娠したのだと信じ、自ら進んでその娘「室」の父となるのだ。

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