■社会に関する幅広い知識を持つ

 医学部を目指している皆さんは、おそらくすごく勉強していることと思われる。私は、大学受験の時に人生で最も勉強していると思っていたが、それは間違いだった。医師国家試験のときに、再び人生で最も勉強したと思ったが、これも間違いであった。研修医の時も非常に勉強したし、ハーバード大学の博士課程の進級試験の時もこれ以上勉強できないというくらい勉強した。今後もおそらく「人生で最も勉強した」という時期がたくさんあることだろう。

 人生はマラソンのようなものであり、勉強をしなくてもよくなることはない。だからこそ、短距離走のような勉強ではなく、一生涯ずっと続けられるような長距離走型の勉強法を身に着けてほしい。

 逆に言うと、大学受験で失敗しようとそこであきらめてしまわず、目標を持ち学び続けていけば、後からいくらでも取り戻すことができる。

 人生の中で困難は必ず訪れる。残念ながらそれは一度や二度ではない。ただ、そこで諦めてしまわず、その壁や失敗からいかに学び、努力を続けていくかによってその後大きな違いが生まれる。

 そして、そのように最大限の努力を続けていけば、必ずその学んできたことを生かし人や世の中のために何かを生み出すことができる時がくるであろう。そういったことからも「勉強」の本質的な意義を理解することを願っている。

 昔は、医学のことしか知らない医師もいただろうし、それでも問題はなかったのかもしれない。しかし、現在の医師は、社会に関するより幅広い知識を求められるようになってきている。

■患者の社会的背景が求められるように

 例えば、米国では13年から退院後30日以内に再入院する患者さんの割合の高い病院には、経済的なペナルティーが科されるようになった。つまり、入院中に患者さんを診ていた医師が、退院後に患者さんがきちんと元気でいることに対しても責任を持つようになったのである。

 そうなると、患者さんの病気のことだけでなく、どこに住んでいて、どのような家族がいて、どのようなサポートがあるかなど、患者さんの社会的背景も理解することが求められるようになってくる。日本も近い将来、このような医療の質に対して経済的なインセンティブが付されるようになるかもしれない。そうなると、医師には、患者さんの社会的背景や社会全般に関する幅広い知識が求められるようになる。

 また、患者さんの病気の原因は社会要因にあるという考え方が一般的になりつつある。このような考え方は、「健康の社会的決定要因」と呼ばれる。

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