バンコクの有名寺院ワット・ポーの甍(いらか)を背景に
バンコクの有名寺院ワット・ポーの甍(いらか)を背景に
ピピ島の旅行会社のデスクで店番をやっていた
ピピ島の旅行会社のデスクで店番をやっていた
タイ・マッサージ屋に愛されているやつ。貫禄の目線
タイ・マッサージ屋に愛されているやつ。貫禄の目線

 タイは隠れたパラダイスだ。タイに10年暮らしたライターの室橋裕和が、野良猫と人々の距離の近さや、その背景、マニア垂ぜんの猫島に撮影のこつまで、猫パラダイスの楽しみ方を伝授してくれる。

*  *  *

 タイの街を歩いていると、「この国の路上は動物園か」と思うことがある。だらしなく寝転がる野良犬、のんびりとあくびをしている野良猫、地方に行けば寺院などを野良猿が占拠していることもある。

 野良ではないが、象もうろついている。近代化が進み仕事のなくなった象と象使いとが、観光客にサトウキビを売り、エサやりの様子を写真に撮らせてチップをもらうのだ。首都バンコクでは「動物虐待だ」と指弾され追われてしまったが、地方都市ではまだ見かける。

 象や猿はともかく、この国の犬や猫には明確な「所有者」がいないように見受けられる。地域の住民がてんで勝手に世話をしてかわいがっている。かいがいしくエサをやり、毛をつくろってやり、熱帯だがいくぶん冷え込む12月あたりになるとTシャツを着せてやったりする。たまに眉毛をマジックでつなげたりもするが。

 野良たちとの、この距離の近さはなんだろうと思う。ペットでもなく、あくまで対等な友人であり近所の知り合い然としている付き合い方なのだ。

 その根底には仏教の死生観があるのではないかと思う。タイ人はごく当たり前に輪廻(りんね)転生を信じている。魂は流転する。ヒトであっても猫であっても、入れ物が違うだけで中身は同じなのだ。次に転生したら、猿かもしれない。猫かもしれない。お互いさまの存在であるから身近に接し、いたわろうと考える。

 猫などはとくに甘やかされ、わが世の春を満喫している。そのため警戒心が薄く、猫の前に座り込んで呼んでみると、のこのこと近づいてきてこちらの匂いを確認し、そのままみだらに寝転がって腹をみせたりする。私の体感だが、タイの猫はおよそ80%ほどの確率でモフらせてくれる。うち半数は抱き上げてハグをしてもいやがらず、ノドを鳴らして応じる。日本の野良猫に比べると、なんとも気安いのである。

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