実は、現在の築地市場では、セリはほとんど行われていない。セリが行われているのは、マグロとウニ、以前の連載で記したエビと、この活魚だけだ。かつては他の魚もセリが行われていたが、次々と相対取引に取って代えられてきた。

 セリ人と仲買人だけでなく、さまざまな職種の人々が一堂に会してにぎわう様子があるがゆえ、活け場は独特の雰囲気を生み出していると感じた。活け場にいると、築地でよく耳にする「ここに働く誰もが仲間なんだ」ということが、すんなりと理解できたような心持ちになってくる。冒頭に記した「昔ながらの築地」という言葉の意味は、セリの仕組みも活け場の雰囲気も、もろもろすべて含んでのことなのだろう。

 6時40分、この日の活け場のセリが終わった。海水を張ったダンベの中で跳ね泳ぐ活魚が、次々とターレで仲卸各店舗へと運ばれていく。私も希海のターレを追って、店へと戻った。
 活魚が運び出されるのに応じて、活け場は徐々に静まっていった。静まってなお、賑わいの余韻は、今も私の中で続いている。

岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。アサヒカメラ.netにて「アフリカン・メドレー」を連載中