95年のワールドカップ後に世界のラグビー界はオープン化し、欧州など強豪国の選手や協会はいずれもプロ化して強化が飛躍的に進んでいた。いくら平尾といえども、国代表レベルはおろか国内チームでも指導歴のない段階での指揮官就任は荷が重すぎた。そうした世界のすう勢を踏まえた人選をするだけの思慮も、任せたからには徹底してやり切らせるだけの覚悟も、当時の日本ラグビー協会は持ち合わせていなかった。

 これを最後に「ミスターラグビー」が、フルタイムで日本ラグビーの将来を担うようなポストに就くことはなかった。

 もちろん、日本ラグビーに関わる様々な役職には就いていた。日本ラグビー協会の理事に二度にわたって起用され、日本開催の2019年ワールドカップ組織委員会理事なども務めていた。遺族のコメントには「ワールドカップ日本大会の成功と日本代表の勝利は、平尾の夢でした」とある。与えられた役職の中で、その夢の実現のために尽力していたことだろう。しかし、日本水泳連盟の会長に起用された五輪金メダリストの鈴木大地氏(現スポーツ庁長官)のように、責任とともに権限も与えられて組織の舵取りを任される機会は訪れなかった。

 「もし、平尾が日本代表のゼネラルマネージャーやディレクター・オブ・ラグビーだったら」「もし、平尾がトップリーグのチェアマンになったら」……。そんな「もし」は、もはや決して叶うことのない夢でしかなくなった。