――今回、クルーのひとり、チェコフ役を演じたアントン・イェルチンが、今年6月に事故で亡くなるという悲しい出来事がありました。撮影現場では彼はどんな存在でしたか。

リン監督:アントンと一緒に仕事ができたことは本当に賜物だったなと思います。彼は正しいやり方で映画に参加していましたし、正しいやり方が何か、ということを思い出させてくれる存在でもありました。つまり、「私たちは映画作りという特別なことをやっているんだ」ということを常に忘れないでいた人だったんですね。自分の生活で何があったとしても、現場に来たらその瞬間に集中しよう、という態度を持っていた人だと思います。なので、彼と一緒に現場にいるのはとても楽しいことでした。その日、たとえ彼にセリフが山ほどあろうと、全くなかろうと、彼はいつもたくさんのアイディアを持ちかけてくれました。まさに、映画作りの楽しさを体現してくれた人だと思います。彼と一緒に仕事をしたことは決して忘れられないですし、彼と一緒に仕事をした人は私と同じような気持ちでいると思います。まだ私にとっては生々しいことで、彼がこの世にいないということはまだ信じられない気持ちです。

――映画の冒頭には、テレビシリーズからスポック役を演じ、2015年2月に亡くなったレナード・ニモイを登場させるシーンがありました。あのシーンにはどんな思いがあったんでしょうか。

リン監督:私もレナード・ニモイのスポックを見て育ってきたんですが、彼が亡くなったということで、作品の中でこういう形で言及するのがいいんじゃないかなと思いました。ある意味での終わり、ということになると思います。サイモンとダグと、お互いの目を見あって、こういう形で彼を登場させることが、これまで50年間の伝統的なスポック・プライムに対する敬意を表すやり方になるんじゃないか、という話をしていました。

――プレッシャーや伝統を感じながら手がけた作品だったかと思いますが、今回のスター・トレックは、自身のキャリアの中でどんな位置づけになると思いますか?

リン監督:大きなボーナスをもらったと思っています。やるつもりは全くなかったので、J・Jから電話をもらった時に本当に驚きました。私が映画を作り始めたときは誰もチャンスをくれなかったので、自分でチャンスを作るしかなかったわけですが、今はいろんなチョイスが出てくるようになりました。いろんなチョイスが与えられたということを、非常に尊重したいと思います。そういう意味で、このスター・トレックができたということは、“偉大な寄り道”だったと思うんですね。ある種の、キャリアにおけるブックマークみたいなものだと思います。私は01年に映画を作り始めたので、もう15年目なんですが、ちょうど10年前に初めての大作である映画(ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT)を東京でつくりました。なので、今回また東京に来られたということは感慨深いですね。ある意味でその場所に戻ってきたということで、浄化的な気持ちになりました。ひとつのショーが終わったな、と。そして家に帰ったら、また新たなショーが始まるな、という気がしています。

――06年の「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」から10年も経っているんですね。10年ぶりの東京はいかがですか?

リン監督:東京は私のお気に入りの街のひとつで、すごく大好きなんです。いろんなところに歩いて行けるっていうのが凄いなと思うんです。昨晩も、J・Jとサイモンと、街を1時間くらいブラブラ歩いていたんですが、ほかの国ではこういうことはできないんですね。それができるってすごいと思うんです。ブラブラ歩きながら食べ歩きしたりしたんですが、食べ物もすごくおいしいし、人もすごくいい。東京にはすごくいい思い出があるので、大好きです。スター・トレックのツアーの最後が東京ということで、すごく感慨深く思っています。

(聞き手・文=横田 泉)