としまえんの回転木馬「カルーセル エルドラド」
としまえんの回転木馬「カルーセル エルドラド」
かつての豊島園の全景図
かつての豊島園の全景図

 関東の遊園地といえば、東京ディズニーリゾートや富士急ハイランドなどが思い浮かぶが、23区内にもさまざまな遊園地がある。はなやしき遊園地や東京ドームシティアトラクションズ、そして「としまえん」だ。

 としまえんは、今年9月で90周年を迎えた。90年前といえば大正時代……その時代の遊園地とはいったいどんなものだったのか、そもそもどんな理由で建てられたのか。都民の身近にありながら意外に知らない「としまえん」の、気になるところを調べてみた。

 としまえんのオープンは1926年(大正15年)9月15日。事業家の藤田好三郎氏が所有していた広大な土地を、一般の人に公開したのが始まりだ。としまえんという名前から東京都豊島区にあるようにも思いがちだが、場所は練馬区である。としまえんという名前は、この土地がもともと、鎌倉時代から室町時代の武士・豊島左近太夫景村(としま・さこんだゆうかげむら)の居城跡に当たることから名づけられた。大正どころか、鎌倉時代の人物にゆかりをもつ、歴史ある遊園地なのだ。

 では、藤田氏はなぜわざわざ個人で所有していた庭を開放したのだろうか。藤田氏はもともと個人の静養のために、この界隈の1万2000坪もの土地を購入した。休日には家族とともにこの自然の中でゆったり過ごす、という生活を送っていたという。ゆくゆくはこの土地に自分の家を建てたいと考えており、日本庭園や温室などを整備し、さらに土地も買い足していった。しかしそのうちに、「個人のためではなく、多くの人が楽しめる遊園地をつくろう」と思い立ち、そこからさらに周辺の土地を買い足し、としまえんの原型となる遊園地「豊島園」を建てたのだという。

 なぜ藤田氏はそんなことを思い立ったのか。

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