鈴木敏夫さん/子供時代の一番思い出の手塚作品は『W3(ワンダースリー)』だそう
鈴木敏夫さん/子供時代の一番思い出の手塚作品は『W3(ワンダースリー)』だそう

 スタジオジブリのプロデューサーとして映画監督・宮崎駿と長きを共にしてきた鈴木敏夫さん。徳間書店時代、マンガ雑誌、アニメ雑誌を手掛ける中で、手塚治虫とも長く関わりを持っていたという。そんな鈴木さんに『手塚治虫文化賞20周年記念MOOK マンガのDNA―マンガの神様の意思を継ぐ者たち―』で、人間味あふれる手塚のエピソードの数々を披露してもらった。また手塚が「ライバル視」していた宮崎監督についても語ってくれた。今回は特別にその一部を公開する。

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「手塚治虫っていう人は……本当におもしろい人ですよね」

 手塚治虫の担当編集者としてつきあいがスタートしたのは、鈴木さんがマンガ雑誌『コミック&コミック』(1973年創刊)編集部に在籍していたころ。

 担当編集者を務める中で、学んだことが2つあるという。

「1つが原稿料のこと。当時の徳間書店は漫画家とのつきあいがなかったから、原稿料をいくらにしたらいいかがわからなくて。一流どころが1枚8万円くらいだったので、それだと困るなあと思いながら先生に直接聞いてみたら『1万円でいいよ』とおっしゃって。『先生のキャリアでは安いんじゃないですか?』って言ったら『安いと、また君みたいな編集者が現れて仕事の注文をくれるだろう? 原稿料が高いと、二度とこないよ。単行本で稼げるしね』と。この人すごいなと思いましたね」

「もう1つは、側に置く人が必ずしも優秀である必要はない、ということ。手塚さんのマネージャーだったHさんが類を見ないくらいひどい人でねえ(笑)。『手塚先生の漫画はみんな僕が原作を描いたんだよ』とかでまかせばっかり言うんです。だから僕、『ああいう人を側に置いておいていいんですか?』って先生に訴えたんですよ。そうしたら、これまた丁寧に答えてくれる。『君ね、もしマネージャーが優秀だったら僕はどうなると思う? 忙しくてダメになっちゃうよ』って。優秀ではないから、編集者たちに『Hさんに言っておいたのに全然やってくれないじゃないですか!』って文句を言われた時にも『えっ、そうだったんですか。なんで僕に直接言ってくれなかったんですか』と言える、と。『マネージャーが優秀でないことによって僕はバランスがとれてるんだよ』。そういう話を、原稿を描いている手塚先生の横に座っていつも聞いていました。勉強になったなあ」

 アニメ雑誌『アニメージュ』を立ち上げてからも、手塚とのつきあいは続いたという。

「ある年に『アニメージュ』で1年を振り返る座談会をやろうということになったんですよ。のちに『機動戦士ガンダム』を作る富野由悠季さんとかアニメーション界の重鎮を呼んでね」

「美形キャラが流行っているという話題になって。主人公じゃないんだけれど脇にカッコイイのがいると作品に幅が出ていいんですよ、という話をしたら、手塚先生が『実にくだらんことが流行っているんだね。なげかわしいよ、君!』と怒ってね。そういう時にすごく反応が大きいんですよ(笑)」

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