ザヒッドさんの叔父も神戸でじゅうたんの販売をしていたそうだ。叔父を頼りに遊びに来た日本で、自分も暮らしてみようと思い立ち、まだ18歳の頃に来日。まず日本語学校で言葉を覚え、それから医療機器の会社に就職し、20年以上働いた。

 故郷のラホールに帰ったのは2005年のことだ。日本でためた資金をもとに、父親が飲食業だったことも影響して、レストランをオープン。しかし、

「10代からずっと日本でしょ。だからパキスタンの文化や習慣にあまりなじめなくて(笑)」

 2010年に再来日。以降、ヤシオスタンでレストランを経営している。

 味に妥協はなく、「日本人向けのアレンジは一切していない」と断言。ほかの県に住むパキスタン人や、大使館の人々もやってくるほどの人気だ。日本のエスニックファンも多い。

 レストランであると同時にパキスタンの食材店でもあり、現地のコメやさまざまな豆、スパイス、お菓子などが並ぶ。買い込むついでにザヒッドさんと立ち話をしていくお客も多い。モスクも近くにあり、金曜日のお祈りが終わったあとは、とくに混み合う。ここはヤシオスタンの社交場なのだ。

 長年、日本で暮らすザヒッドさんは、日本人のモラルを絶賛する。「うそをつかない、時間やルールを守る。人にぶつかったら頭を下げる。電車を整然と乗り降りする。日本人は当たり前だと思ってやっていることができないパキスタン人、イスラム教徒がどれだけ多いか。家族や親戚がパキスタンから遊びに来るたびに、みんなビックリするんですよ」

 やや褒めすぎのようにも感じるが、ザヒッドさんにとって日本は居心地のいい、暮らしやすい国のようだ。「日本は平和で自由。女性の人権も守られている。イスラムの教えを実践しているのは、むしろ日本人のほうですよ」

 生活で困ることは、外出時にハラルフード(イスラムの戒律にのっとって処理された食品)のレストランが少ないことくらいだが、それも近年は増えてきており「ハラルのラーメン屋もあるほどだしね」と笑う。

 中古車業だけでなく留学生も多くなっており、日本に住むパキスタン人は増加している。ヤシオスタンのコミュニティーも拡大していきそうだ。(文・写真/室橋裕和)