番組で訪問する街や場所のロケーションは、基本的にスタッフが決めているようだ。だが、時にはマツコ自身が希望した場所を訪れることもある。

 2015年6月11、18日に放送された「千葉の製鉄所」は、そうした回のひとつだった。

 千葉はマツコの生まれ育った場所である。普段のドレスとは違いヘルメットと作業服に身を包んだマツコは、番組冒頭、自分の人生において「最初に心象風景のなかにある夜」は、空を真っ赤に染める「川鉄(川崎製鉄[現・JFEスチール]のこと)」の溶鉱炉の炎であると語り出す。まだ空が赤くなる理由もわからなかった幼いマツコは、その赤い空を恐怖心とともに眺めていたという。

 そしてその後、その理由が溶鉱炉の炎であることを知り、30年間溶鉱炉を直に見てみたいと思っていた。その念願がこの番組で叶ったのである。

「千葉が栄えたのは川鉄のお蔭なのよ」と言うマツコは、案内役の社員とともに製鉄所内を見て回る。しかし、およそ40年前には最大6基あった溶鉱炉もいまは1基になっている。ついに念願の溶鉱炉を目の当たりにして喜ぶマツコ。しかしその一方で「6基あったとき見たかったなあ」と残念がり、「すごかったんだろうなあ、その頃の日本って。夢と希望がいっぱいだったんだろうね」としみじみ語る。

■同時代との距離

 マツコが生まれたのは1972年10月26日だ。

 今年で44歳、同じ芸能界で言うと、SMAPの木村拓哉と同じ年である。しかもあろうことか、二人は一時期千葉の同じ高校に在学していたらしい。そのことは木村拓哉自身がテレビ番組で話題にしていた。ただし、友人でも、顔見知りの仲でもなかったようだ。木村はマツコ本人とその話になったときに、「ごめん、オレ誰がマツコになったのかわからない」と冗談交じりに語ったそうだ。

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