「渋谷公会堂は、重量挙げの会場でした。代々木体育館もあって、代々木公園はオリンピックの選手村だった。もっとさかのぼればその一帯は、戦前は陸軍練兵場で、戦後は米軍に接収された施設『ワシントンハイツ』でした。オリンピックによって、渋谷公会堂やNHK、NHKホール……複合的な文化事業の地として展開していくわけですよ」

 70年代に入ってそこに登場したのがパルコだった。

「当時新しく出来た区役所付近は、代々木公園を抜けて原宿につながるエリアになり、隠れ家的な喫茶店なんかがポツポツ出来て、ちょうど発展していくところだったんです。今より年齢層が高い人に注目されていました」

 次に注目するのが、渋谷独特の「地形」だ。渋公やNHKは、公園通りの坂の上にある。パルコは坂の中腹あたりに位置する。

「コンサートや公開収録があって、人がそこに集まる。道玄坂も、かつては坂の上に芝居小屋がありました。人を上げて、降りてくるという流れをつくる。それによって街に回遊性が生まれるんです」

 佐藤さんは続ける。

「渋谷は山坂があって路地が多いでしょ、これが新宿や銀座にはない魅力だと思うんです。とりあえず渋谷に行ってみて、そこから路地をめぐって何かを探す、何かが始まる。渋谷はそんな面白さで独自の進化をとげていった街なんです」

 2019年、パルコは生まれ変わる。

「マークシティにヒカリエもそうですが、そういった施設の中での縦の動線が意識される傾向は気になります」

 と佐藤さんは言う。

「そこで完結してしまうと文化は育たなくなってしまうんです。横でのつながりを広げていってほしいですね」

 2020年の東京オリンピック。20階建てパルコは、新たな「パルコ文化」を生み出すだろうか。(太田サトル)