市場の豊洲移転後、榊オートは、築地のターレは、どうなるのだろう。

「わずかに残っているガソリン車は、豊洲には引っ越さないことになっています。豊洲のターレは電動のみ、との取り決めになっているためです。他のことは、まだ何も決まっていません」

 工場長の白石さんは、そう話していた。さびとの格闘についてたずねても、白石さんの受け答えは淡々としている。

「水産の市場である限り、魚を運び、塩水を浴びるっていうことには変わりません。豊洲に移ったからといって、私たちの仕事が劇的に変わることはないだろうと思っています」

 しかし同時に、まだ何も決まっていないとはいえ、白石さんの頭の中では綿密なシミュレーションが始まっている。白石さんに初めてお会いして話をうかがった際に、白石さんは豊洲の新市場を訪ね、ターレの動線を調べ、豊洲でターレがどのように使われるのか、具体的な使用状況の想定を重ねていることを、私は知った。

「築地では(平地のため)平面での動線がほとんどですが、豊洲(新市場)では(大卸・仲卸ともに複数階の階層構造をもつ建屋のため)、立体の動線が必ず入ります。(階上階下への移動と)広い敷地、ましてや動線そのものがいまだ確立していない新市場においては、ターレの走行距離は(築地市場での使用よりも)伸びると考えられます。すなわち、バッテリーへの負荷が増すことが想定されるのです。築地において6年超えのターレでも使うことのできたユーザー層にとっては、(新市場になるとターレの寿命が縮まることが想定されるため、ターレにかかる費用負担が)かなり厳しくなるのではないかと考えています」

 ターレの動線にまで熟考を重ねていることに感服したことを私が話すと、白石さんはこうこたえてくれた。

「私たちはターレを扱っているんだから、ターレを使っている仲間がどんなふうに仕事をするのかを理解しておくことは、それは当然のことです」

 白石さんは、ひと呼吸おいて、話を続けた。

「築地の人間っていうのは、もうそれだけでみな仲間なんですよ。どこかで誰かが困っていたら、仲間が困っていたら、すぐに飛んでいって助けてやるのが、築地の人間なんですよ。職種が違っても、名前を知らなくても、仲間ですから」

 穏やかで柔和な白石さんの表情の奥に、私は、築地市場の人々に共通する、力強い人情味を感じた。

 無音でも力強く動く築地のターレは、寡黙で力強い人々によって、支えられていた。榊オートでは今日も、淡々と穏やかに、ターレの整備が続く。

岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。アサヒカメラ.netにて「アフリカン・メドレー」を連載中