「普段は配達をすることはなく、正月だけ配達をしていました。昔は威張ってたんですよ。お客さんが買いに来るのを、ただ待っていればよかった。それで商売が成り立っていました」

 ところが、時代とともに昔のやり方では続かなくなっていったという。

「その後、魚が売れなくなってきました。どんな街にもすし屋が100件はあったのが、今は10件あるかないかです。先代の木村社長が亡くなった後、10年ほど前から、電話やFAXで注文を受け、自分たちの車で直接配達・納品する、今のスタイルでやるようになりました」
 こうしてなんでも扱うようになったキタニ水産は、新たに鮮魚部門を設置し、顧客を開拓していった。
「もちろん品質には気を配っていますが、『便利』であることが、受け入れられているんだと思います。ウチを使うことで、お客さんが使える時間がぐんと増えますから」

 パソコンやプリンタが並ぶ鮮魚部門とはうってかわり、マグロ部門の店内には、築地市場の仲卸特有の風情が漂う。生のマグロを、刃渡り1メートル以上の包丁で切り分ける傍らで、冷凍マグロを、部位と客先ごとに、電動ノコギリで切り分け梱包(こんぽう)し続ける。静かに、淡々と、マグロがさばかれ続けていた。

 木製の通い箱(使い切りではなく、行ったり来たりする箱)をくくりつけたすし屋のバイクが、直接店に乗り入れてくることもあった。通い箱の側面には、すし屋の屋号と、キタニ水産の文字が筆で書かれている。何度も磨かれるうちに表面の凹凸が消え、すべすべになった通い箱に、キタニ水産と客との歴史を感じた。

 気鋭ではあるが、「新進」ではない。キタニ水産は、ITの導入と自社便による配達という新しいスタイルを伴って突然築地に現れたのではなく、マグロとともに永く築地で仲卸業を営むなかで、この新しい手法を編み出したのだった。

 現在の社長の木村剛さんに、やぼな質問ではあることを承知で、キタニ水産ではなぜ、店頭販売をほとんど行わずに直接配達するこのやり方を始めたのか を、改めて聞いてみた。

「黙って待っていても、お客さんは来ませんから。もう、そういう時代ではないんじゃないですか」

 未来に向けて生み出された独特のスタイルを伴って、キタニ水産はこれからも、多様な客の声に応じていく。

岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。アサヒカメラ.netにて「アフリカン・メドレー」を連載中