いつも叱咤激励してくれる姉の言葉が、ひときわ厳しさを増したのは、昨年2月。田知本が「どん底」を味わっていた時期である。国際大会前に、全日本柔道連盟から服用可能な薬を渡されていたにもかかわらず、ドーピング違反の危険性がある市販の風邪薬を使ったため、欠場せざるを得なくなり、警告を受けた。柔道人生最大のピンチだった。

 競技の面でも2012年のロンドン五輪以降、思った通りの柔道ができず苦しんでいた。ロンドン五輪では、準々決勝で先に有効を二つ取っていたものの、左ひじを負傷して有効を二つ奪われ、旗判定で敗退。敗者復活戦でも気持ちが乱れて指導を受け、メダル獲得はならなかった。13年の世界選手権で日本代表に選ばれるも、初戦敗退。勝てない時期が続いた末に、ドーピング違反の危険を冒しそうになるというトラブルに見舞われ、田知本の心は折れかかっていた。

 その時、姉から「何しているんだ! やれることをやりなさい」と叱られ、目が覚めた。当時を振り返り、「打ち消そうとしても湧き上がってくるネガティブな思いと戦い続けた」と田知本。どん底からはい上がり、国内予選である全日本体重別選手権ではライバルを下して再び五輪代表の座を勝ち取った。一方、姉はロンドンに続いて五輪出場はならなかったため、田知本の思いは複雑でもあった。

 苦しんだ分、成長は周囲にも明らかだった。アテネ五輪女子78キロ超級の金メダリストで、東海大、ALSOKの先輩として助言を送る塚田真希さんは田知本の変化をこう語る。「代表落ちもあり、本当に苦しんでいた。4年前は若さばかりが目立っていた。でも今はいぶし銀。ウオーミングアップを見ていると充実感が伝わってくる。まるで別人」との評価だ。

 1回戦は合わせ技で周超(中国)に一本勝ち。2回戦は第1シードのキム・ポリング(オランダ)に延長戦の末、有効を奪い勝利を収めた。準々決勝のケリタ・ズパンチッチ(カナダ)戦は、両者ポイントなしのまま延長となり、谷落としで技ありを奪って試合を決めた。準決勝でラウラ・ファルガスコッホ(ドイツ)に優勢勝ちし、決勝へ。最後はユリ・アルベアル(コロンビア)の背負い投げを返して有効を奪うと、そのまま横四方固めで抑え込み、一本勝ちした。
 
 「ロンドン五輪での悔しさを晴らした。きょうは、柔道人生で最も充実した日です」。観客席には、目を真っ赤にして戦いを見守る愛の姿があった。「リオ五輪が集大成」との思いで臨んだ田知本は、姉と一緒に2度目の五輪を戦い終えた。(ライター・若林朋子)