すし屋台はタイの地方都市や、田舎の青空市場でも定番の店になった
すし屋台はタイの地方都市や、田舎の青空市場でも定番の店になった
値段を考えれば、海老やサーモンはなかなかおいしいが……
値段を考えれば、海老やサーモンはなかなかおいしいが……
次から次へとお客さんが現れ、おやつ代わりにすしを買っていく
次から次へとお客さんが現れ、おやつ代わりにすしを買っていく
これで60バーツ(約180円)、けっこう食べごたえがある
これで60バーツ(約180円)、けっこう食べごたえがある
「デパ地下」でもすしはおなじみの存在。10個買ったら1個オマケだそうな
「デパ地下」でもすしはおなじみの存在。10個買ったら1個オマケだそうな
謎のネタが並ぶ。すしはタイで独自の進化を遂げたのだ
謎のネタが並ぶ。すしはタイで独自の進化を遂げたのだ

 洋服、トロピカルなジュース、雑貨、鶏のから揚げ……さまざまな店が密集する、なんともタイらしい屋台街の一角に、すし屋台「ワッタナーすし」はある。

「スシー、マイカ?(おすしいかがですか?)」

 店頭で看板娘のように声を上げて客を呼んでいるのが奥さん、その背後ですしを握っているのが旦那さんだ。ワッタナー夫妻は地下鉄カンペーン・ペッ駅に近いこの屋台街で、もう3年ほどすしの屋台を開いている。

 見ていると、次々にお客が現れては買っていく。店先に並べられたすしのなかから好みのものを選び、トングでつかんでプラスチックのパックに入れていく。まるでパン屋のようなスタイルだ。バイクタクシーを活用したデリバリーにも対応している。

 値段は1個5~10バーツ(約15~30円)。安食堂なら一食40バーツ前後(約120円)なので、お腹いっぱいにしようと思ったらすしはやや割高になるが、それでも皆よく買っていく。

 しかし売られているものは、日本人から見れば、どれも「すし」とはほど遠い。ツナの入ったシャリのボールにトビコをまぶせたもの。軍艦に卵焼きを乗せてマヨネーズをたっぷりとかけたもの。茎わかめ。激辛に煮付けた貝ひも。それらしきネタはサーモンと海老くらいだが、こちらもやはり、トビコやマヨネーズがトッピングされている。

 これがタイ流のすしなのだ。

 この10年ほどで、日本食はタイ人の暮らしにすっかり定着した。ラーメン、牛丼、和定食、和風の居酒屋、緑茶、とんかつ……和風のカレーを給食に出す学校まで出てきた。もちろんすしもそのひとつで、本格的な高級店から回転ずしまでそろう。

 庶民には路上のすし屋台が人気だ。ワッタナーすしのような店がこの数年でタイ全土に急増している。そのほとんどは、フランチャイズ・チェーンだ。

 ネタはすべてチェーンから卸される大量生産のもの。これを握って……いやシャリに乗せていく。シャリは酢メシではなく、みりん系の甘い味付けを施してある。欠かせない調味料であるマヨネーズは、日本のものよりだいぶ甘い。

 一風変わったネタが多い理由のひとつは、生魚が苦手な人がまだ多いこと。日本の食文化が浸透し、ビザ免除によって日本を旅行して現地で本格的なすしを食べた経験者も増えてきたが「生食や生魚は別」という人もいる。味に保守的な庶民層はなおさらだ。

 そこで火を通したものや、加工食品をネタにして、すしっぽくしたものが好まれているというわけだ。海草、湯がいたエビやサバ……とりわけトビコとカニカマはタイすしの王道。これはすしだけでなく、日本食には欠かせないメニューであると勘違いされており、日系ではなくタイ系の和食レストランで定食を頼むと必ず添えられてくる。飛ぶように売れるため、すし屋ではトビコとカニカマを具材のみでも別途販売している。

 食感も大切だ。トビコのぷちぷち感、茎わかめのしゃきしゃき感、貝の歯ごたえ。そして見た目である。同じトビコでも、店によってはピンク、赤、緑、黄色……さまざまな色合いに着色されており、子供たちには大人気だ。基本的にタイでは、屋台のすしは子供のおやつなのである。学校帰りの女子中高生にはとりわけ人気だ。

 こうした食材を個人で大量に仕入れ、販売していくことは難しいため、チェーン店の出番となる。タイは麺やご飯の屋台でも、一見すると個人営業だが、実はフランチャイズということが多い。そんな土壌もあり、すし屋台が増えているのだ。

 ワッタナーすしの売り上げは秘密とのことだが「雇われているよりはいいよ。ダンナとふたりで、ほかに給料を払う従業員もいないし」という。ちなみにタイでも首都バンコクの場合、世帯所得の平均はおよそ3万バーツ(約9万円)だ。

 規模の大きなフランチャイズ・チェーンになると、大型ショッピングモールなどのフードコートにも出店しているので、さらに売り上げは大きくなる。それがタイ全土で展開しているのだから、巨大なビジネスなのだ。

 どのすしも日本のものとはまったく別モノで、日本人の味覚からすると「おいしい」とは言いがたいが、食文化は変化していくもの。日本の味が海を越えて、タイで独自の進化を遂げていることには、ある種の小気味よさも感じる。(文・写真/室橋裕和)