東京五輪招致が決定し喜びを爆発させる太田雄貴(右)(写真:Getty Images)
東京五輪招致が決定し喜びを爆発させる太田雄貴(右)(写真:Getty Images)

 日本フェンシング界にとって長年の悲願だったオリンピックでのメダル獲得を果たした北京五輪から8年。30歳になった太田雄貴にとって、4度目の五輪が間もなく幕を開ける。

「自分の競技人生で、あの時ほど胸が震えたことはない。もしもあの感動、興奮を越えることがあるならば、リオで金メダルを取ることだと思うんです」

 個人で表彰台に立った北京、そして団体でメダルを獲得したロンドン。2つの銀メダルも格別の喜びだったが、それ以上に「胸が震えたことがない」と振り返る瞬間は、2013年9月、東京五輪招致が決定した瞬間だったという。

「ああいう感動的な場面に立ち会うと、また匹敵するような経験をしたい、と思います。でも五輪招致は、チームの力であって、自分以外の力が大きかった。自分の居場所は、やっぱりフェンシングなので。金メダルを取るために、リオでは勝負したいです」

 平安高校在学時にインターハイ三冠を達成、単身での海外遠征も積極的に行い、09年には最年少で全日本選手権を制するなど、天才と称された太田は、五輪でのメダル獲得という大きな目標にチャレンジする、日本フェンシング界の希望だった。

 優れた逸材がいるからといって、個の力に頼るだけではメダル獲得など遠い目標に過ぎない。本気の改革ができるのは、今しかない。03年、斎田守・現日本フェンシング協会強化委員長が「選手だけを強化するのではなく、選手を強化し、組織として強くするための指導者のプロが必要だ」と訴え、ウクライナからオレグ・マチェイチュクコーチを招聘。当時はまだ現役を引退したばかりで、「難しいことばかりだった」とオレグコーチは振り返るが、国立スポーツ科学センターを練習拠点とし、地方に住む選手も上京し、長期合宿を敢行し、個人としてではなく、「日本代表」としてチームの強化に励む。

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