●その2「巨匠の設計 そのお値段は?」

 ル・コルビュジエが当時設計にあたって提示した設計料は1000万円。ちなみに1955年(昭和30年)当時の大卒国家公務員の初任給は8,700円。さらにル・コルビュジエが1000万円の設計料で提供したのは基本設計のみ。実際に建てるには詳細な実施設計が必要だったがこれが大仕事。ル・コルビュジエの弟子であった日本人建築家、坂倉準三、前川國男、吉阪隆正の3人が手分けしてこれにあたった。設計料はすでに全額ル・コルビュジエに支払い済みだったため、3人の報酬は文部省から出た謝金だったとか。おそらくその金額は労苦に見合うものではなかったのでは?

●その3 日本人弟子たちが手がけた有名建築作品は

 ちなみにル・コルビュジエの弟子3名はいずれも日本建築史上に残る建築を手掛けている。前川國男(1905~86)は国立西洋美術館の前に立つ東京文化会館が代表作のひとつ。板倉準三(1901~69)の代表作は2016年3月末をもって閉館となった神奈川県立近代美術館 鎌倉館本館。登山家としても有名であった吉阪隆正(1917~80)はアテネ・フランセの設計している。

●その4 外壁に施された細かな工夫

 当時では珍しい工法で、小石が埋め込まれたコンクリート板をあらかじめ作っておき、それを並べるという方法で外壁が作られている。この石とコンクリートの壁は湿気を含むことによって色合いが変化するので、季節や気候によって建物の色の印象が変わってくる(湿っていると緑っぽく見えたり、乾いていると灰色っぽく見えたりする)。

●その5 階段いろいろ

 外側にある階段は2か所。正面にあるテラスと外階段、公園側にある外階段はいずれも、免震化工事の際に一度取り壊されて、その後また元の形で復元されている。現在はどちらも立ち入りが禁止されているのが残念。

 室内には2階展示回廊から中3階に上がるための階段がある。この階段、幅が狭いにもかかわらず手すりは片側だけ。これは階段の造形美を最優先に考えた結果ゆえにこうなったと考えられる。しかし安全性には問題あるためか、これまで実用に供されたことはほとんどない。

●その6 実は浮かんでいるのです

 国立西洋美術館本館の免震化工事は建物全体を地面から切り離し、その間に免震ゴムを挿入するという形で行われている。玄関ホール入って左、地下1階のトイレに降りていくと、地下の構造が見えるのぞき窓が設けられており、建物を支えている免震ゴムを見ることができる。

●その7 巨匠のアイディアもうまくいかないことが…

 2階の展示回廊にある天井が低くなった部分。これがル・コルビュジエのこだわりであった自然光を用いた照明ギャラリー。天井の明り取りから差し込む光を利用して照明とする計画だったが、光が差し込む角度や光の強さが想定と異なったために、いわゆる”企画倒れ”に。現在は蛍光灯などの人工光を利用している。

●その8 卍型(スバスチカ)がキーワード

 ル・コルビュジエは美術館増築の際に、元の建築の特色を損なわずに無限に拡大していくことができることを理想としており、巻貝のように外へ外へと渦巻き型に増築していくことができる「螺旋型美術館」を考え出した。

 国立西洋美術館本館もその思想に基づいており、展示室は19世紀ホールを中心に、卍型(サンスクリット語で「スバスチカ」)に配置されている。ル・コルビュジエの基本構想に従うなら、その後の増築はこの本館を取り巻くような形で行うべきなのだが、実際、その後増築された部分は、敷地などの都合で、現在の新館や前庭の地下にある企画展示館のような形となっている。