時代に伴って変遷するのは、忙しさだけではない。帳場をつかさどる人々の風景も、変わってきた。

「昔は若い人はいませんでした。そういう雰囲気ではありませんでしたから。まさに男だけの世界でした。ここにいる女性は、おばちゃんだけでした。」

「社会の変化に伴って、若い女性が増えてきました。学校を出ても仕事がない。仕事があっても、派遣やバイトしかない。ホームページや職安(現ハローワーク)で見つけた築地の仕事を選ぶ人が増えてきました」

 定時に始まって定時に終わる帳場の仕事に、残業はほとんどない。年金や健康保険などの社会保障も完備している。朝が早いことを除けば、決してブラックな仕事ではない。

「習いごととか、好きなこととか、国家試験の勉強とか、役者や歌手になりたいとか、そんなことをしたくて帳場さんをする人も、結構いるんですよ」

 30年以上の長きにわたって築地を見つめてきた四十八願さんは、お客の移り変わりも見守ってきている。最初に魚を買いに来た1代目の息子が2代目となり、さらにその息子が3代目となって魚を買いにくる。そんな風景を、何度となく見てきたという。

「寂しいですよ。築地は、どうしてなくなるんでしょう。どうしてなくさなければならいんでしょう。超、寂しいです」

 減ったとはいえ、いまだ600以上もある仲卸の中から、わざわざやまふ水産を選んで買いに来てくれる大切なお客さまのために、少しでも気持ち良く買って帰ってもらいたい。また買いに来たいと思ってもらえるように。四十八願さんは、そんな思いを胸に、この仕事を続けてきた。

 帳場の仕事は、お金の勘定だけではない。店の仕事が円滑に運ぶよう、あちこちに目を配らせる様は、まさに潤滑油だ。そして、あまたいるお客の一人一人を把握し、それぞれに応じて声をかけ続ける帳場さんは、「『魚の目利き』の目利き」だとも思った。

 四十八願さんが33年間書き留め続けてきた顧客ノートは、今年の11月以降、更新されることはない。築地市場閉場後、四十八願さんは帳場を離れ、場外の仕事に就く予定だ。

 11時半、帳場を閉じた四十八願さんは、さっと身支度を整えて帳箱を出た。

「岩崎さん、握手しましょう。築地の仕事は、元気をもらえるのがいいところです。はい、岩崎さんからも、元気をいっぱいいただきました」

 元気をいただいたのはこちらの方だ。四十八願さんはこれまで、帳箱から、幾千もの人々に元気を届け続けてきた。築地市場内の仲卸は、そんな元気な帳箱で満ちている。

岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。アサヒカメラ.netにて「アフリカン・メドレー」を連載中