ロンドン五輪後に急成長し、一気にリオの金メダル候補となった松友美佐紀(左)と高橋礼華(写真:Getty Images)
ロンドン五輪後に急成長し、一気にリオの金メダル候補となった松友美佐紀(左)と高橋礼華(写真:Getty Images)

 小学5年と6年では、全国小学生大会シングルスで優勝しながらも、中学に進んでからはヘルニアになるなどで結果を出せなかった高橋礼華と、小学4年から全国タイトルの常連で全国中学も制した松友美佐紀。ふたりがダブルスを組んだのは、高橋が2年になっていた宮城県の聖ウルスラ英智高に松友が入学した年の秋だった。翌2008年には全国高校選抜で優勝し、インターハイでも優勝。さらに初挑戦の全日本総合選手権で3位と結果を出し、高橋が社会人入りした直後の大阪インターナショナルチャレンジでは、日本代表組を連破して優勝した。

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 だが当時、松友はシングルスもやっていて、08年のインターハイではダブルスと団体を合わせて3冠を獲得。高3になった09年の全日本総合は高橋と組んだダブルスはベスト8で敗退したが、シングルスでは準決勝で第一人者の廣瀬栄理子を相手に「あわや金星か」という大善戦をして3位になった。その躍進に高橋は「もし松友がシングルスをやりたいというのならそれを止めちゃダメだと思った。そうなったら自分は割り切って違う人と組んで頑張るしかないと考えた」と言う。

 しかし松友の日本ユニシス入りが決まり、日本代表チームにもダブルスで選ばれたことで、その不安は解消した。そして松友も社会人1年目の10年はシングルスも並行してやっていて世界ジュニア2位などの結果も残したが、11年になると「両方好きだからどちらかと決められない気持はあるが、ナショナルはダブルスで入れてもらったし五輪レースに参加するチャンスをもらえたのだから、今年はダブルス一本でやろうと思う」と心を決めたのだ。

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