自衛隊の生活に慣れてくると、「せっかく勤務しているのだから上を目指したい」と昇任試験に臨んだ。ライバルと競って勉強し、約30人の隊員を指揮する「3等陸尉」から、最終的には約3000人の隊員を束ねる「1等陸佐」(旧軍の大佐)となる。災害支援の際は陣頭指揮を執った。

 60歳の定年まで5年となったころ、80代の父親を支えるため、故郷へ戻ることを考え始めた。しかし、田舎で再就職先を探すのは難しい。そんな時、人づてに養父市が防災を担える人材を探していることを耳にした。「自衛隊で身につけた災害支援への考え方や手法が生かせるかもしれない」と応募し、採用された。

 防災対策といっても、地方自治体の台所事情は厳しく、なかなかお金をかけられない。何か新しいことを始めようとしても、計画を練ってから市民や議会の理解を得て実行するまでに時間がかかる。そんな中で地道に進めているのが、「市民の防災意識を高めること」だ。地区ごと、自治組織ごとに行う出前講座に重点を置き、これまでに40回以上を開催した。

 2004年に台風の影響で大水害が起こったこともあり、市民は風水害への意識は高い。しかし、地震については、考えが及ばないところもあるという。「養父市内には、本地震の原因とされる『布田川断層帯』と同じ形状の断層が二つあり、今後30年以内に地震が起こる確率は0・45%と言われている。低い確率に思えるかもしれないが、布田川の確率が最大で0・9%だったことを考えると、必ずしも大丈夫とは言えない」(西田さん)

 加えて、市の防災計画や体制も見直す。「市内は85%が山林で、谷が入り組み、斜面も多い。地域の実情に合ったものにしたい」。災害時にスムーズに連携が取れるようにと、消防団や警察、行政と市民との関係づくりも進める。

 防災対策に取り組む先には夢がある。「災害に強いまちになれば、転入してくる人が増えるかもしれない。人口が増えて休耕田が少なくなれば、災害時には田んぼにためた水が役に立つ。山を手入れする人が増えれば、倒木や斜面の崩落が防げる。さらに安心で安全なまちになるんです」(西田さん)

 日本創生会議により、「消滅可能性都市」の一つに挙げられている 養父市だが、防災対策と故郷の活性化は、つながっている。そのことを、西田さんは実証しようとしている。(ライター・南文枝)