20年の節目を迎えた手塚治虫文化賞。輝かしき第20回受賞者たちのスピーチを、全文でお届けする。

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■大賞『鼻紙写楽』一ノ関圭さん

 ありがとうございます。「四半世紀ぶりの新作」と、本の帯に書かれました。一ノ関圭です(会場笑)。

 最近テレビで、「ひとり農業」という言葉を知りましたが、私は「ひとり漫画家」です。このような場に立つことも、もうあまりないと思いますので、せっかくですから、ひとり漫画家が、どのように漫画を作っていくか、簡単に、ここでお話ししたいと思います。

 漫画家は、頭のなかに一つの場面が浮かびましたら、まず小説家のように、とりあえずざっとストーリーを考えてみます。次に、脚本家のように場面と場面をつないで、もっと細かくシナリオにしてみます。さらにそのシナリオをもとに、映画監督のように、キャラクターとせりふを入れた絵コンテをこしらえます。これをネームといいます。

 ここに演出家のような編集者が登場します。老練な編集者に漫画家はコテンパンにしてやられ、それでも、すったもんだ、いろいろ、丁々発止とやりあいまして、やっとOKが出たら、次の段階に進みます。美術監督のように走り回って、各種資料を取りそろえ、役者のように、細かな演技プランを練りつつ、画家のように、紙の上の一コマ一コマに絵を入れていくのです。

 それからは、もう毎日、コマの中に絵を入れていく作業が続きます。消しゴムが飛んでどこか堆積物の中に潜り込んで、二度と出てこなくなっても、踏み場のなくなった足元にカッターナイフが転がっていても、昨日貼ったはずの着物の柄のスクリーントーンがいつの間にか剥がれていても、もう、見て見ぬふりをいたします。しかし、その着物の柄が、あり得ないところにくっついていたりすると、歯ぎしりしながら引き剥がします(会場笑)

 この頃になりますと、もう腕の良いパイロットのように、とにかく滑走路の上にソフトランディングすることしか考えておりません。もしものことがあったらと「ぞっ」とするわけですが、そういう事態を察知してか、電話がひっきりなしに鳴ります。

「いま会社出ました」「いまそちらに向かっています」「喫茶店に着きました」「いつまでも待っています」

 ……怖いです(会場笑)。でも、ハートを強く持ち、震える手で最後のコマを埋めたら、原稿をつかんで自転車を飛ばします。一方、喫茶店の片隅で待ちくたびれて、これからが仕事の編集者は、やっと来た原稿をもぎ取り、血走った目で1枚1枚確認し、「こんな小さな吹き出しの中に、この量のネームが入ると思ってんの?」と、つぶやきます(会場笑)。

 やがて小さなため息とともに、彼が原稿を小脇に抱え、「お疲れさまでした!」と目の前からいなくなり、そしてはっと我に返るのです。喧騒(けんそう)の時は過ぎ、空っぽになって、もはや、何者でもなくなった自分に、気がつきます。

 こうして短編は1本出来あがるのですが、これを何年も何十年も続けていますと、目と、不整脈と、悪玉コレステロールと、人間関係に、問題を生じます(会場笑)。私の原稿を長年待ち続けてくれた、編集者のみなさん。みなさんの忍耐と辛抱と奔走が、この「鼻紙写楽」を、何周も周回遅れだった「鼻紙写楽」を、世に送り出してくれました。

 漫画家が長距離ランナーなら、編集者は、ランナーより孤独な伴走するランナーだと思います。この賞は、みなさんのおかげです。ありがとうございました。

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