ともに苦しんだ本田と長友(写真:Getty Images)
ともに苦しんだ本田と長友(写真:Getty Images)

 本田圭佑にとっても、長友佑都にとっても、苦しい1年だった。そして、ミランもインテルも、期待された結果を残すことはできなかった。

 シニシャ・ミハイロビッチ監督を招へいしたミランは今季、カルロス・バッカ、ルイスアドリアーノ、アンドレア・ベルトラッチ、アレッシオ・ロマニョーリらを獲得するなど、久しぶりに大金を投じて補強し、復活を目指した。

 しかし、開幕3試合で2敗と出だしから苦しみ、本田も第5節ウディネーゼ戦のあと出場機会を失う。10月、ホームでのナポリ戦で0-4と惨敗すると、背番号10は試合後、日本のメディアでクラブを批判。以降は終盤からの途中出場の日々が続く。

 この間、シルビオ・ベルルスコーニ名誉会長お気に入りの4-3-1-2から4-3-3に移行したミハイロビッチ監督だが、内容と結果が出ず、年内最終戦で再びシステムを4-4-2に変更。本田も右サイドハーフでレギュラーに返り咲く。すると、スペクタクル性こそまったくないものの、チームは徐々に堅実さを取り戻し、少しずつ復調していった。

 ところが4月、その流れが断ち切られる。ミランが自ら断ち切ったのだ。敗れはしたが健闘したユベントス戦後、ベルルスコーニ会長が「ミラン史上最悪のプレー」と酷評し、ミハイロビッチ監督を解任したのである。後任は、ユースを率いていたクリスティアン・ブロッキ監督だった。

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