「当時の社長とは、入社前の面接で酒を飲みながら“離島の酪農未来予想図”をアツく語り合いました。温暖な気候と水の恵み豊かなこの島なら、理想的な酪農ができる、ならボクはそれでおいしいチーズを作る、と夢をふくらませました」(魚谷さん)。

 実際、その会社でも酪農家だけに頼らず自社で牛を育てようと、牧場を開拓してジャージー牛を導入し放牧をはじめてもいた。島の人たちは少し高くても島の牛乳を買っていたが、ホルスタインを飼っていた最後の酪農家が廃業し、ジャージー牛だけの牛乳になると今までの値段では出せなくなった。ホルスタインに比べジャージーの牛乳は味はよいが乳量が少ないからだ。「いくら島の牛乳でも高すぎて買えない」と、島内には不満の声が出ていた中での閉業だった。

 そこへ現れたのが島でホテルを2軒経営する実業家、歌川真哉氏である。
「歴史を引き継ぎたい。観光牧場なども視野に入れ、酪農で島を活性化できないか」と事業継承を表明し、閉鎖から半年後に再び島に酪農の灯がともされたのである。

 再開にあたり、企画担当としてひとりの女性が参加した。島生まれ島育ち、東京からUターンしていた畑中由子さんである。「八丈の牛乳を飲んで育った」という畑中さんは早くからブログやSNSを活用し、勤務するスーパーや島の魅力を発信し続けている人だった。畑中さんは、まず島内からの信頼を取り戻そうと考えた。
「今の牛の頭数では牛乳を商店に安定供給するのは難しいんです。今は加工品を作って会社を安定させる時期。だったら島の人に愛される商品を作って、島内に会社の応援団を作ろうと思いました」。
 主力商品のジェラートは、島内の製品や農産品とのコラボが多い。たとえば焼酎の蔵元や農協の女性部、ジャムづくりに定評のある宿など。
「味が良いのはもちろんで、島の中からの支持が高い方や組織にコラボを持ちかけました。そうすれば、その製品のファンもジェラートを応援してくれるから」。
 
こうした動きはやはり、島出身者である畑中さんの力が欠かせない。さらに、島の酪農の実情を伝え、認知度を高めるために会員制の応援団(八丈島ジャージークラブ)を作った。ブログでは牧場や工場の動きを報告し、年3回通信紙も出している。

 こうして再スタートから1年少しがたった今、冒頭に記したような形で東京でも八丈島乳業の製品が注目を集めている。ところがこれは売り込みではなくすべて先方からの引き合いだというから驚きだ。味の確かさ、おいしさで黙っていても話が来る。この勢いを続けるには安定供給が一番の課題だ。会社として、次は牛乳を復活させ、島の子どもに牛乳を飲んでもらうのが目標。

 さらに魚谷さんは「酪農は天候にあまり左右されないし、ほかの産業ともコラボしやすいから地域ブランドを作りやすいと思う。八丈で離島酪農のモデルを作り、ほかの島にも波及させて酪農で離島を活性化できたら」と壮大な夢も秘めている。

 大きな夢を持つこの小さな乳業を、島外からも応援したい。 (島ライター 有川美紀子)