「みんなね、築地がなくなるのはさびしいっていうじゃない。外の人たちはそう言うけど、俺たちにとっては仕事場だからさ。仕事場が豊洲に変わるっていう、それだけなんだよ。ノスタルジーみたいなものは築地には持っていないわけ。築地は、もうあちこちおんぼろだから、これも時代の流れってやつなんだと思うことにしてる。この狭いところで、この古い仕組みでは、もう限界だと世の中が判断したってことなんだと思うよ」

 懐古の念で築地を眺める風潮に疑問を呈しながらも、黒岩さんは話を続けた。

「ただね、なんでも新しければいいってもんじゃないとも思うわけさ。効率的なのだけがいいってもんでもないと思うんだよね。そこのところ、どう思うかい? この魚にはこの温度っていうのがあってさ、そのベストの温度を保つことを考えながら、氷を買いに来る人たちがいるわけさ。同じ魚だって、具合も程度も違うから、魚によって扱い方を変えることもあるわけ。それがさ、機械になったら、全部自動処理になったら、便利で楽にはなるんだろうけど、それでいいのかな。それでうまい魚が食えるのかな。それでうまい魚が選べるのかな。おいらはね、世の中はそんな方向に向かっているような気がしてならないんだよね」

「結局さ、築地がこれだけ有名になったのも、人がいたからなんだよ。目利きがいるから、目利きが集まってるから、だから築地なんじゃない。その目利きのことをさ、人はどう考えているのかなって、そんなことを思うわけさ」

 私の取材は、氷販の黒岩さんから始まった。私があえて氷販を選んだのではなく、たまたま最初に巡り合ったのが、黒岩さんだった。どこか達観したようでいて、しかし決して冷めていない黒岩さんのまなざしは、これから初めて築地に入ろうとしていた私に、大切な視点を養わせてくれた。本連載のタイトルも、ここで聞いた言葉から引いている。

 黒岩さんは、魚の目利きではない。しかし、ほかならぬ築地市場の目利きの一人であると、私は感じた。

 氷を買いに来る人々に混じって、私も氷販でつかのまのひと息をつきながら、築地取材をはじめている。

岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。アサヒカメラ.netにて「アフリカン・メドレー」を連載中