「この時間はね、みんな店を作らなきゃなんないから。店を作るために、氷を買いに来るわけさ」

 こう話してくれたのは、氷販の黒岩哲哉さん(53)。30年以上にわたって氷を通して築地を見つめてきた、氷販の最古参だ。「店を作る」とは、開店準備をすること。仲卸では陳列棚一面に氷を張り、そこに魚を並べていく。発泡スチロールの箱に魚を小分けにする際にも氷が必要だ。魚を持ち帰る客にもまた、袋詰めにした氷が欠かせない。6時頃から始まるピークに向けて、各店では氷とともに店作りを淡々と進めていく。氷販が最も忙しい季節は、夏。夏場の売り上げは冬の6倍を超える。夏場になると、氷を求めるターレが行列を作るほどになるという。

 氷販の売り場は、独特な造りをしている。体育館のステージほどの高台の上に、事務所と冷蔵庫がのっかっている。脇には氷を砕く機械が設置されており、全スペースは6メートル四方程度。床はすべて合成樹脂で、冷蔵庫からおもてまで一続きになっている。事務所と冷蔵庫以外のスペースは、すべて氷を取り扱う場所として空けられている。

 合成樹脂の床は氷がよく滑るため、氷柱も軽々と動かすことができる。と書くことは簡単だが、氷柱は大きい。一本あたり36貫(550ミリ×250ミリ×1メートル)ある氷柱の重さは135キロを超える。この氷を、一切持ち上げることなく、黒岩さんは取り扱っていた。

 使う道具は氷ハサミ。クワガタのアゴのような形状のハサミで氷を挟んで動かす。「アナと雪の女王」の冒頭シーンで、切り出した氷を取り上げるのに使っていたあの道具だ。氷柱を氷挽(ひ)きと呼ばれるノコギリで切るために横に寝かすのも、このハサミ一つで行う。黒岩さんは、135キロもの氷柱を、ハサミの両先と支点となるネジ部分の3点支持で、ひょいと簡単に寝かす。

「やってみるかい?」との勧めに、私は揚々と応じてみたものの、氷はびくともしない。しまいには、倒した氷につま先を挟んだ。「今まで見てきたなかで、一番下手くそだなあ」と、黒岩さんは豪快に笑った。

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