シェイクさんは文部省の国費留学生として日本の地を踏んだ。それから日本語と医学とを学び、日本とバングラデシュ双方で医師免許を取得。現在は日本で医学博士として活動している。日本人と結婚し、娘がひとりいる。

 そんなシェイクさんが来日したばかりの頃は、苦労が多かったという。

「昔はハラルフード(イスラムの戒律で食べることを許された食品)のお店もほとんどなかったし、モスクも少なかった。いまはイスラムの人々が増えたので、ずいぶん暮らしやすくなりましたね」

 また、正規にビザをもっていない人も、その当時は多かったという。当然、健康保険はない。病院にはかかれない。シェイクさんは彼らを医療の面でサポートするようになった。

 この活動をきっかけに、シェイクさんはNPO法人としてJBS(ジャパン・バングラデシュ・ソサエティ)を設立。在日バングラデシュ人の健康問題の相談を受ける窓口をつくったのだ。

 合わせて、バングラデシュの新年を祝う「ボイシャキメラ」のお祭りもはじめた。毎年4月、ショヒド・ミナールのある池袋西口公園は、日本に住むバングラデシュ人でごった返す。南アジアの文化に興味のある日本人もやってくる。バングラデシュ国内で、医療や土木、教育など、さまざまな分野で活動する日本のNPO、NGO関係者も多い。

「はじめは簡単な診察をする医療のテントと、国際交流のためのブースがある程度。お客はせいぜい数百人でした。それが回を重ねるにつれて参加者が多くなって、バングラデシュ料理を出すレストランのブースが増えていきました。ビザの問題も少なくなったいま、医療のテントはほら、あんな隅っこに(笑)。新しい時代なのでしょう」(シェイクさん)

 今年で17回を数えるボイシャキメラはまた、「カレーフェスティバル」とも呼ばれ、知名度は上がっているという。例年1万人ほどのバングラデシュ人や日本人が訪れる。

 おりしもボイシャキメラの3日前に、地震が発生。多くの死者を出した。その後も激しい余震が続いていた。バングラデシュも洪水やサイクロンなど災害が多い。人ごとではない。祭りでは急きょ、熊本への義援金を募ることになった。

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