しかし、山口智子は、「出産から降りた経緯」を『FRaU』のロングインタビューで語りました。小泉今日子も、自分が「子どもをつくらなかったことへの思い」をくり返し口にしています。

「出産」に限らず、今からでは手に入れることが困難な「仲間に自慢できる何か」がたくさんある。そのことに、五十歳前後になると多くの人が気づきます。この現実にどう立ち向かうかは、諦めることの苦手な「今日のアラフィフ女性」にとってとりわけ深刻な問題です。だからこそ彼女たちは、「出産」という「大事」を手放して、なおかつかっこいい「同世代の仲間」に憧れを持つ。小泉今日子や山口智子は、アラフィフ女性にとって「人生の難所を越えるモデル」なのです。おそらくそこに、この2人が今改めて注目される大きな理由があります。

 同世代女性の共感を集めている点は同じでも、小泉今日子と山口智子は、ある部分では対照的です。

 たとえば小泉今日子は、「芸能人になって何年たっても、地元の厚木から離れない」というのが定評(『MEKURU』小泉今日子特集号での糸井重里の発言など)。いっぽう山口智子は、「実家の旅館を継ぐのが嫌で芸能人になった」と述べています(『FRaU』のロングインタビューによる)。子どもをつくらなかったのも、自分の幼少期の環境によいイメージを持てなかったからだとか。地元とのかかわりという面では、2人の隔たりは小さくありません。

「いま・ここ=現状」に留まらず、「ここではないどこか」 へ赴いて「他人に称賛される何か」を集めろ――そうした「強制」にさらされる「しんどさ」を、この世代は広く共有しています。

 拙著『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』の中で、小泉今日子と比較しつつ、中山美穂について書きました。中山美穂は、1970年生まれで、小泉今日子の4つ年下。周知のとおり、小泉今日子に劣らない「多様な才能」の持ち主です。

 その中山美穂が、アイドル時代の自分についてこんなことを書いています。

<東京はいつまでも窮屈でした。自分だけの居場所は自分の車の中だけでした。部屋ではだめだったのです。カーテンを閉めても四方を囲まれているようで。だから車の中で、大声で歌ったり、思いっきり泣いたりしながら、思うがまま走り続けたのです>(中山美穂『なぜならそこにやさしいまちがあったから』集英社)

「ここではないどこか」に赴かなくてはならない――そうした思いが、若き日の中山美穂の胸中で煮えたぎっていた。そのことがありありと伝わってきます。

 2002年、中山美穂は作家の辻仁成と結婚。間もなくパリに移住します。念願の「ここではないどこか」への出発を果たしたのです。

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