「僕は30代前半ですが、SNSやネットの使い方などもそこまで大差ないと思います。ただ、彼女たちより失敗した経験は豊富だと思うので、何かしら彼女らに伝えられることがあるんじゃないでしょうか」と長谷川さん。それはつまり、空気を読まない彼の振る舞いそのものを指している。たとえば今日の授業全体。会場に放り込む言葉のひとつひとつが一見すると傍若無人であり、スベりまくりであり、ときに無礼、滑稽に映る。しかし、それを受け取った生徒の表情はゆるみ、感情が動いてアイデアを生む会話へとつながっていたではないか。わざと演じて空気を動かし、有益な発想へと導くこのやり方を、長谷川さんは自ら「KY(空気読まない)発想法」と名づけている。

 「これってそのまま、コピーの考え方にもつながるんですよ。コピーは広告ですから、基本的には無視される存在。でも、企業としてはその価値をしっかり伝えてもらわないと、お金を出した意味がないですよね。そこでコピーライターは、とにかく覚えてもらえるコピーを作る。行儀なんて多少悪くても、枠からはみ出してこっちに注目を集めればいいんです。コピーに対して批判が出ることもありますが、記憶に残らず無視されるより、ずっと価値があります」。若くして独立し、印象的なコピーをいくつも世に放ってきた気鋭のコピーライターだからこそ、身にしみてわかる感覚であろう。ひるがえって、彼のコミュニケーションと女子高生のそれを比較してみると、たしかに冒頭での彼の発言のように、両者は根っこのところでは違わないかもしれない。面白いと感じるものに大差ないし、世間話の内容やネットを使ったやりとりの感覚も、基本は同じだ。しかし筆者には、長谷川さんに比べてごく若い彼女たちが、まだまだ遠慮がちに他人に触れているように映る。

 それに比べると長谷川さんは無遠慮だ。しかしそれはコミュニケーションのテクニックである。他人の気持ちに率直に飛び込んで波紋を起こし、さらにその波を大きくして、結果その人の知られざる面を浮かび出させる。それを可能にするのが「恥ずかしい」とか「自分なんて」という気持ちを捨てたひらきなおり、「KY」だ。しかし、彼の言うKYとは「空気読めていない」なんて意味では全くない。むしろ空気を十分読んだ後、意識的にそれを無視して、真逆の対流を起こしているように感じた。

 コピー作りというコミュニケーション行為を受講者に体験させつつ、彼女らの日常コミュニケーションへのヒントをも、身をていして示した特別授業。長谷川哲士という奔放な人物像の奥にあるものがちらりとのぞいた。(寺島知春/デジタル遊びジャーナリスト)