たとえばある青年が、有名大学に入れば女性にモテると思い受験勉強に励み、見事合格。そこで前から好きだったひとをデートに誘い、受験勉強のウンチクを延々と語ったら――おそらく、ふられるはずです。有名大学というブランドに一定の威力があったとしても、「面白くもない自慢話」はそれを帳消しにしてあまりあります。有名大学を目指した動機は、モテることだったのか自慢話をするためだったのか。この青年の場合、そこに本末転倒があります。

 小泉今日子は、この「残念な青年」の対極にいます。努力がつねに「お客」という方向をはっきり向いていてブレません。それが努力や工夫を空振りに終わらせないことと直結しているといえます。

 他にも小泉今日子から学ぶべき点はたくさんありますが、私がそのエッセンスと感じているのは以上の4点です。

「天性の資質」と「有能なスタッフ」に恵まれ、順調に芸能生活をつづけてきたひと――この連載を始めるまで、私自身、小泉今日子のことをそう思いこんでいました。しかし、彼女が「中年の星」と呼ばれるポジションを手に入れるまでには、多くの「断念」や「喪失」があった。そのことを、この連載をつづけるなかで痛感させられました。

 どれほど「才能」や「チャンス」を与えられたとしても、順境だけを生きる人間はいないということなのでしょう。「失うこと」を恐れず、誠実にそれと向きあっていく。その大切さを私は小泉今日子に教わりました。

最後にこれまで読みつづけてくださった読者の方々へ感謝の気持ちを記して、この連載を締めくくりたいと思います。

※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など