(3)失うことを恐れない

 自分自身も、それを取りまく環境も刻々と変わっていきます。そうした変化に対応しなくては、のぞましい人生は送れません。40代で20代と同じ外見を保っている人なら、体のメンテナンス法やメークのやり方を更新しているはずです。

「変わっていく力」が大切である。このことを否定する人少ないでしょう。問題なのは、「すでに持っているもののうえに何かを積みあげること」だけが「のぞましい変化」だとみなしがちな点です。

人生には、それまでのシステムそのものを改編しなければならない場面に直面することがあります。そうした根本的な変化は、「すでに持っている価値あるもの」を手ばなすことなしには達成できません。

「喪失」があるからこそ可能になった「再生」。小泉今日子は『あまちゃん』の春子を演じることを通して、それを見事に表現しました。では、どうずれば「失うこと」を過剰に恐れずにいられるのか。そのためにはやはり、「何も誇るものを持たない裸の自分」を受けいれることが必要になってきます。

「これを満たせていない自分は許せない」。そういう項目が増えるほど、「失う恐怖」は膨らんでいくのです。

(4)それをすることで「何を目指しているか」を意識する

この連載でくり返し指摘したとおり、小泉今日子は、つねに「お客目線」で自分を眺めています。そのおかげで、演技をしたり歌ったりする場合、わずかな努力や工夫によって、最大限の効果を引き出すことが可能です。

 いくら努力しても報われない。そういっている人の大半は、まちがった方向に努力している人です。方向のあやまりは、その努力によって何を得ようとしているかがブレているときに起こりやすいのです。

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