■職人技光る手書きスコアボード 手書きゆえの意外なハプニングとは

 現在は、電光式のスコアボードに選手の名前や点数が自動で表示されるが、1984年までは、職人の手書きだった。重さ7~8キロの板に明朝体で書き、試合ごとにスコアボードに取り付けていたのだ。非常に味のある仕上がりだったが、手書きならではのハプニングもあった。

 1933年夏の全国中等学校優勝野球大会準決勝、中京商(現中京大中京高)が明石中(現明石高)に延長二十五回、1-0でサヨナラ勝ちした試合のことだ。あまりの長さに途中でボードの得点表示スペースや「0」の板がなくなり、応急措置で継ぎ足していく事態となった。選手だけでなく、観客や球場職員らはさぞやきもきしたことだろう。

■「プラカードガール」の選考基準とは?

 夏の甲子園の開会式、選手が入場行進する際に代表校名のプラカードを持って先導する「プラカードガール」。初登場の1949年夏の大会以来、地元の西宮市立西宮高校の女子生徒から選ばれている。気になる選考基準だが、当初は、「(1)身長155センチ以上、(2)身体強健、(3)運動選手、(4)容姿端麗」だった。当たり前だが、現在は3、4番の条件は削除されている。

 今年は高校野球100年を記念し、甲子園歴史館では9月6日まで、これまでの歩みを振り返る「夏の高校野球特別展2015 高校野球100年のあゆみ」を開催している。戦後70年と絡め、太平洋戦争中の1942年、文部省(当時)が開催した、大会史に残っていないという「幻の甲子園」の優勝記念ボールや同大会でしか使われていない「選士章」など、節目となった大会や出来事の資料が展示される。

 過去の出場校などを回って資料を集めたという歴史館担当者の林亮太さんは、「高校野球の長い歴史をいろいろな目線から楽しんでほしい」と話す。歴史館でトリビアを集め、貴方もこの夏、甲子園を熱く語ろう!

(ライター・南文枝)