『紙の月』でも『グーグーだってである』でも、宮沢りえは、年齢相応の皺を顔に刻んでいます。実際より若く見られる配慮をほとんどしていないようです。年輪が「顔の味わい深さ」を生んでいるため、二十歳のころより現在のほうが、宮沢りえは美しく見えます。

「愛情飢餓」から「悲劇の袋小路」にはまるタイプは、絶えず「他人からの承認」を確認しないと生きていられません。「他人にどう思われようが、私は私」というのは、自分で自分を肯定している人間の発想です。マリリン・モンローのようなひとは、他人の助けなしでは、一瞬たりとも「自分の生きている価値」を認められないのです。

 こういう場合の「自分を肯定してくれる力」は、恋愛関係によってもっとも強烈に得られるようです。ステージでファンの歓声を浴びたり、映画雑誌で絶賛されたりしても、「愛情飢餓」の人間には励みにならないのです。百万人に歌や演技を望まれても、ひとりの恋人に愛されないので身動きできない――このタイプの「天才芸術家」には、そうしたことがしばしば起こります。

 顔に刻まれた年輪を隠そうとしない宮沢りえは、「他人にどう思われようが、私は私」という発想でおそらく生きています。

 映画『紙の月』のDVD版副音声で、監督の吉田大八と宮沢りえは対談しています。大島優子が手を洗っている場面で、吉田監督は「ここ、大島さん無茶苦茶ていねいに手を洗ってない?」と話を振っています。宮沢りえは「うふふ」とただ笑うだけで応じません。吉田監督は「宮沢さん、こういう話に興味ありません?」とぼやく始末です。

 宮沢りえのこうした「マイペースさ」は、マリリン・モンローや中森明菜にはありません。彼女たちなら、監督に「承認」してもらうため、ウケそうなせりふを必死で探したはずです。

 宮沢りえは、たしかに難しい環境で育ちました。それでも、根本的な自己肯定の感覚は、きちんと周りに与えてもらえたのでしょう。
 
 中年にさしかかった芸能人は、しばしば、薬品などを用いて加齢を隠そうとします。そしてそのことと引きかえに、ある歳月を生きてきた肉体の持つ「存在感」を失います。

 顔に刻まれた変化を隠さない宮沢りえは、特別な世界で齢を重ねた「履歴」を全身から漂わせています。画面に映っているだけで、「生きぬいた歳月をごまかしているタレント」にはないインパクトを感じさせるのです。「美しさ」や「演技力」に代わりはいても、「その人ならではの生きざまが染みこんだたたずまい」にはかけがえがありません。だからこそ、小泉今日子のようにいろんな人間になるわけではないのに、宮沢りえは女優として生きのびているわけです。

※「小泉今日子と宮沢りえ 相反する二人の意外な共通点」につづく

※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました

注1 たとえば、「キネマ旬報」1988年10月下旬号の「撮影現場訪問」(森卓也)に、「アイドルもできるし、普通の女の子にもなれる」という、真田広之の語った小泉今日子観が記されている。真田広之は小泉今日子と『怪盗ルビイ』(和田誠監督)で共演している
注2 DVD版『紙の月』の副音声解説において、銀行のロッカールームを舞台にした場面について宮沢りえは言っている。「このロッカールームがすごく面白かった。みんなここでどんなこと話してるんだろう」これに監督の吉田大八は「ああ、こういうふつうのことが珍しいんだ」と応じている
注3 「犬童一心監督が語る、りえの魅力『一つのキャラクターを自信を持って演じている』(「スポーツ報知」2014年10月17日配信)
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20141016-OHT1T50337.html
注4 宮沢りえ特別取材班『平成爆弾娘 宮沢りえ研究白書』(リム出版 1992)など、貴花田との婚約破棄以前から、こうした宮沢りえ評はささやかれていた

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など