それでも女性たちは、「女らしさ」を研ぎ澄ますことを止めませんでした。「美しくあること」からの撤退は、同性からなめられることにつながります。また、エステやメイクには、自分にしかわからない楽しみ方があります。「モテるため」ではなく「同性から軽んじられないため」、あるいは「自分を満足させるため」――「女らしさ」を洗練させようとする「第一の動機」は、この20年でそんな風にシフトしました(現代女性のファッションやメイクは、ふつうの男性には解読できないほど高度化かつ多様化してきています)。

「女子」は、モテや社会的評価にかかわりなく、「自分らしいかわいらしさ」を追求します。「女らしさ」が「男性ウケ」と密着していた時代なら、こういう「女子」のありかたは表に出てこられなかったでしょう。

 2000年代、いわゆるゼロ年代に入ると、年齢的には「女の子」と言いがたい30代以上の女性に、「女子」的なありかたを提案する雑誌が現れます。代表は、2003年に宝島社が創刊した「InRed」です。この雑誌は、「30代女子」というフレーズをまさに看板に掲げています。

 小泉今日子は、タレントのYouや女性歌手グループのPuffy、女優の永作博美などと並んで、「InRed」の表紙をくり返し飾りました。また、創刊当時から6年にわたって、エッセイも連載しました(それらは『小泉今日子の半径100m』『小泉今日子実行委員会』[共に宝島社]にまとめられています)。

 アイドルとしての小泉今日子が画期的だったのは、同性からの人気が高かった点です(詳しくは、助川幸逸郎「小泉今日子が“女の子”に支持された理由」dot.<ドット>朝日新聞出版 参照)。男の子をターゲットにしない「かわいらしさ」が、アイドル時代の小泉今日子の大きな魅力でした。そんな彼女が、「InRed」の刊行がはじまった2003年には37歳。「30代女子」のライフスタイルを広めようとする雑誌が、小泉今日子に目をつけたのは当然といえるでしょう。

「小泉今日子が『美魔女』でない理由」につづく

※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました

注1 米澤泉『「女子」の時代』(勁草書房 2014年)の指摘による

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など