半身にしたイノシシを持つ井口和泉さん。この状態で約4キロ。ここからさらに部位ごとに分け、料理に合わせて下ごしらえを施す(撮影/片岡弘道)
半身にしたイノシシを持つ井口和泉さん。この状態で約4キロ。ここからさらに部位ごとに分け、料理に合わせて下ごしらえを施す(撮影/片岡弘道)
井口さんが作ったイノシシ、アナグマ、シカ、野鴨をワインや香草とともに煮込んだ「4種の禽獣(きんじゅう)のラグー」。狩猟を始めたころの井口さんにとっては夢の料理だった(撮影/片岡弘道)
井口さんが作ったイノシシ、アナグマ、シカ、野鴨をワインや香草とともに煮込んだ「4種の禽獣(きんじゅう)のラグー」。狩猟を始めたころの井口さんにとっては夢の料理だった(撮影/片岡弘道)

●フランスの家庭では親しまれているジビエ

 日本では「臭いから……」と敬遠されるイノシシやシカなどのジビエ肉。フランスでは、当たり前のようにマルシェ(市場)で売られていて、一般の家庭料理として食べられているという。なぜ、日本では、ジビエは遠い存在なのだろうか。

 福岡を拠点に活躍するフレンチ料理家であり、ハンターでもある井口和泉さんは、自著『料理家ハンターガール奮戦記』(朝日新聞出版)の中で、フランスのボルドーに住む姉を訪ねたときに、その友人からふるまわれた家庭料理「キジと白ブドウの白ワイン煮」のおいしさに感動したのがきっかけで、日本でもジビエを手に入れられないか入手ルートを探すようになったと明かす。そして、その過程で日本の里山における深刻な獣害を知ることになったのだという。

●日本の現状に、立ち上がった女性フレンチ料理人

 2013年度の鳥獣類による全国の農作物被害は230億円で、10年前の約2倍。メディアでも、山を追われた野生の動物たちが人間を襲う事故がたびたび報道されているが、里山が失われていく日本では、現在、狩猟は食べるためではなく、農作物を食い荒らす野生の獣(害獣)を駆除するのが主な目的となっている。

 こうして捕獲された動物たちのほとんどは廃棄される。流通可能な肉に加工することのできる、正式な営業許可を受けた解体処理加工施設が圧倒的に不足しているからだ。また、家畜に比べて品質の個体差が大きいため、安定した材料供給を求める飲食店は猟銃の肉を避けることになる。

 しかし、「アナグマはフルーツの香りがする」とたとえられるほど、本来、ジビエの肉は魅惑的で、新鮮なものは臭くない。実際、井口さんにはイノシシが臭いというイメージはまったくないし、「臭い、マズい」と悪評の高いタヌキですら、「知らない味というだけで、恐ろしくマズいなんてことはない」と語る。

「日本人と肉食の関係はどこかよそよそしい」と感じた井口さんは、ジビエ肉を手に入れるために、自ら、イノシシを解体する現場に飛び込んだ。フェイスブックで知人が猟師になったことを知り、彼の解体に参加したのだ。そして、「生きもの」が「食べもの」に変わっていく瞬間を目の当たりにし、自身もハンターへの道へ足を踏み入れた。

●「命」が「食べもの」に変わる瞬間に立ち会う

 新米ハンターの仲間たちと、ハンターチーム「tracks」を結成し、来る日も来る日も猟に明け暮れるうちに、井口さんに突き付けられたのは、獲った肉をどのようにおいしく調理するかということではなく、料理家として命をいただくということは、どういう意味を持つのかという自分への問いだった。自分たちが食するために、目の前で元気に動いているイノシシの命を奪う現場に立ち会うことは、想像以上に感情の揺さぶりがあったという。

 いくつもの葛藤を乗り越えて、井口さんは、一つの「出口」にたどりついた。それは「料理とは動物たちの魂の抜け道を作る行為だ」ということ。これまで、料理家である自分は「命」を受け取るだけの「行き止まり」だと感じていたけれど、ちゃんとつなげられていると気付いたのだという。井口さんの望みは、日本でも、もっとたくさんの人たちに、ジビエ料理を食べてもらうことだ。本当の成熟した肉食文化とは、「鳴き声以外は食べつくす」ことだと井口さんは教えてくれた。イノシシも肉を加工しつくしたあと、最後に骨を煮込むと、美しい金色のスープになるという。それが、いただいた「命」への敬意であり、感謝でもある。

 最近では、女優の杏さんが狩猟免許を取ったことが話題になったが、日本でも、自然との共生という視点や、自分が口に入れるものへの関心の深まりによって、少しずつ狩猟に対する関心が広がってきている。

 臭くなんてない。先入観を捨てて、香しい本来の野生の恵みを、味わってみてはいかが。