薬師丸ひろ子は、スケジュールの合間を縫って受験勉強に励み、1983年に玉川大学に入学しました。当時は18歳人口が多く、志願者全員が入学できる「Fランク大学」は存在しません。芸能人が4年制大学に進学することは、それだけで「快挙」でした。

 1年間留年したものの、薬師丸ひろ子は大学を卒業し、ハードな芸能活動と勉学を両立させています。この実績によって、「高卒がほとんどの、ふつうのアイドルとは格が違うイメージ」を彼女は獲得しました。

 こうした「文学系アイドルの時代」を象徴するメディアが、「月刊カドカワ」です。1998年に終刊したこの雑誌は、「総合文芸誌」の看板を掲げていました。にもかかわらず、特集ページでは歌手を取りあげ、小泉今日子も二度フィーチャーされています。このうち、1990年2月号の特集には、ロング・インタビューや「読書日記」、当人自身による全アルバム解説などが載っています。

 このときの「読書日記」の前文に、小泉今日子が「芸能界一の読書家」であるというフレーズがあります。編集部には、彼女の「教養」をアピールする意図があったのでしょう。しかし、小泉今日子がここで触れている書物は、ジュニア向けファンタジーや少女漫画が中心です。文芸雑誌の読者が、「こんなハイブロウな本も読むんだ。すごい!」と感心するラインナップではありません。

 この号の目次には、五木寛之、林真理子、山田詠美、村上龍といった、現在でも人気のある作家の名前が見えます。その傍らに、斉藤由貴、尾崎豊、黒木瞳、鈴木保奈美といった芸能人の創作が並んでいます。小泉今日子が二度目に特集された1993年2月号にも、斉藤由貴、渡辺満里奈、荻野目洋子、三上博史などが寄稿しています。
 
 武部の言葉にもあるとおり、「月刊カドカワ」でポエムや小説を書いていたタレントと、小泉今日子は「別のタイプ」と見られていました。「読書日記」からも、彼女が「文学系アイドル」と一線を画していたことは伝わってきます。

 この「文学系ではない」という点では、80年代アイドルの二大巨頭だった松田聖子と中森明菜も同じです。

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