“縁結び”の神社として、若い女性の間で絶大な人気を誇る出雲大社(島根県出雲市)。今年に入ってからは、高円宮家の次女・典子さま(現:千家典子さん)と、神職の権宮司・千家国麿さんとの華燭の典も記憶に新しい。昨年、平成25年は、60年に1度、屋根を葺き替える「平成の大遷宮」の年だったが、その影響もあり、参拝客は804万人にも上った。島根県の人口が約70万人であるから、人口の11倍もの人々が、日本全国から訪れたことになる。

 昨今のスピリチュアルブームも相まって、特に若い女性から“パワースポット”扱いされ、とかく“縁結び”にばかりフォーカスされがちだが、一体なぜ“縁結び”信仰を集めているのか、由来となるとハッキリ答えられない人も多いのではないだろうか。

 これまでにも『古代出雲を知る事典』(東京堂出版)、『図説日本人の源流をたどる! 伊勢神宮と出雲大社』(青春出版社)など、日本古代史について多数の著作がある瀧音能之氏は、新著『出雲大社の謎』(朝日新書)のプロローグで、以下のように述べる。

「本来のオオクニヌシは『縁結びの神』ではなく、『天(あめ)の下(した)造(つく)らしし大神』と称される『国作りの神』だったのですから、出雲大社をたんなる『縁結び』の神社と位置づけてしまうと、本来の性格を見失うおそれがありますので注意しなければなりません。出雲大社には、そもそも本来的には『縁結びの神』は祀られていない、ともいえるのです」(同書より)

 瀧音氏は、同書で、出雲大社が祀るオオクニヌシ (大国主大神)は、もともと「国作り」の神で、“縁結び”で信仰を集めるには、根拠が薄いことを述べている。現在の“縁結び”信仰の歴史は「古代の末頃から近世にかけて出雲大社が打ち出した、いってみれば『営業戦略』ともいえる広報・誘致活動から生まれたもの」だと指摘する。

 一例として、“縁結び”の由来で、よく挙げられる俗説が、旧暦10月の異称「神無月」の語源だ。神々が出雲に集まって各地で留守になるので、全国的には10月を「神無月」と呼ぶ。一方、神々が集結する出雲だけは「神在月」と呼ぶ――これは今では俗説どころか定説化している話である。

 しかし、瀧音氏によれば、この説の流布には、御師(おし)と呼ばれた人々が一役買っているという。御師とは、中世以降、各地から出雲大社へ参詣人を案内し、参拝・宿泊の世話をした人々のこと。彼らが「『神無月に神がいなくなるのは、縁結びの相談をするために出雲大社に全国の神々が集まるからだ』という話を、神無月の語源に関連づけて広めた」(本書より)というのだ 。

 なぜ「縁結びの相談」で集まるのかといえば、神様同士で年に1度、情報交換をするため。神々が縁を結ぶにあたり、日本全国どこにどんな男女がいるのか把握しておく必要があるからだ。

 この俗説の出現は、出雲大社側にとっても不都合はなく、むしろ歓迎すべき事態だったので、積極的に御師たちの広報活動をバックアップしたと考えられている。八百万(やおよろず)の神々が出雲大社に集うことを、男女の縁を結びつけるイメージと結び付け、人為的な戦略でもって、“縁結び”神社の地位を獲得していったのである。

 もちろん、だからといって出雲大社の「価値」が落ちるということではない。ただ、いかにして出雲大社が“縁結び”信仰を根付かせていったのか、祭神・オオクニヌシの本来の性格とはどのようなものだったのか――こうした古代ロマンの謎を紐解くことで、“縁結び”にことさらフォーカスをあてた現在の出雲大社ブームの「おかしさ」が見えてくるのではないだろうか。