博物学者にして妖怪評論家、図像学者、翻訳家でもある作家・荒俣宏氏。妖怪など不思議モノに限らず、あらゆるジャンルに造詣が深い博識ぶりは、TV番組でもお馴染みだ。

 祖父の代から3代続く江戸っ子の荒俣氏が、この度、上梓したのが、本書『江戸の幽明──東京境界めぐり』(朝日新書)。『江戸の快楽』、『江戸の醍醐味』(ともに光文社)に続く、荒俣氏の江戸=東京街歩き三部作に位置づけられる本作。先の2作品では、主に日本橋界隈に絞って執筆した荒俣氏だが、本書では、板橋や練馬など、自身が実際に育った「東京の田舎」についても言及している。

 本書第二部の見出しにもなっている「朱引(しゅびき)のうちそと」という言葉は、地図上に「朱引」という赤い線を引いて、境界線を示したことに由来する用語で、いわば「江戸の縄張り」だ。江戸っ子が住む江戸の内が、朱引された線の内側「朱引内」で、いわゆる江戸八百八町と呼ばれるのは、この「朱引内」にある町数と考えられている。この境界線により、行政も区分されており、「朱引内」の管轄は町奉行、線の外側は代官・勘定奉行の管轄だった。

 だが、この「朱引」も、最初から厳密に引かれていたわけではない。実は、江戸時代末期まで、外縁はあいまいなものであった。江戸時代初期には、日本橋から浜町・内神田あたりまでのごく狭い範囲「二里四方」が「朱引内」だった。その後、寛文年間(1661~73年)には、江戸城を中心に四里四方までが「朱引内」とされ、品川から千住までの「四里四方」にまで拡大したのである。歴史小説や時代劇で、「江戸十里四方おかまい」という言葉を目にしたことがある方もいるかもしれない。これは、江戸城を中心にした半径五里より外へ追放される刑罰のことだ。

 荒俣氏は、豊富な知識に基づく史実や、ときには自身の思い出も交えて、「朱引のうちそと」周辺部の歴史を紹介している。数珠つなぎのように連綿と綴られる、数多のエピソードの中で、荒俣さんが「こんなにおもしろい探訪は、私の生涯で二度とないに違いない」と思い返しているのが、日本橋冷凍手島商店の代表取締役、手島賢司さんとの出会いだ。日本橋で氷屋を営む手島さんは、柔道の総本山・講道館のツワモノで、かの“日本プロレス界の父”力道山を「投げ飛ばした男」という都市伝説の持ち主。荒俣さんが、その武勇伝の真相を尋ねると「投げ飛ばしゃしないよ。ただ、ちょっと捻(ひね)ったら、力道が膝をついただけのこった」(本書より)と笑顔で答えたとのこと。荒俣氏は、手島さんの「みごとな男っぷり」に江戸っ子特有の気風の良さを感じている。

 荒俣氏は、本書の「あとがき――最後の一冊がまとまるまで」で、「本書は私が刊行した書物のうちで、もっとも私的な要素を盛り込んだ本となったのではないか」と振り返り、そして「私自身の少年期の回想もはじめて文章にした」と明かしている。「おそらく本書をもって、私の故郷東京の探訪記は書き納めということになるかと思う」と語る荒俣氏の“江戸モノ集大成”、ぜひ一読してみてはいかがだろうか。