小泉今日子のスタッフは、空白となっていた「昔ながらの王道アイドル」を狙うことで、強力なライバルたちに対抗するつもりだったのでしょう。最初の2曲がカヴァー、次の2曲もアナクロなまでに古風だったことからも、そうした方針はうかがえます。

 このやりかたは、ある程度の成果をあげました。小泉今日子のディスクはどれも売れ行き好調で、4曲目はオリコン・トップテン入りを果たしています。それでも、デビューの年のレコード大賞最優秀新人賞ノミネート5人の枠に、小泉今日子は入れませんでした。

 小泉今日子がロングヘアだった髪を切ったのは、4曲目を歌っているさなかです。断髪は自分の意思だったと、小泉今日子はくり返し語っています。

「デビューしてすぐに、芸能界ってそんな面白い世界でもないな、因果な商売だなと感じた。やめて田舎に帰ろうと思ったけど、帰る前に何かしでかさないと、友達が受け入れてくれないから」(注1)

 ただし、次の5曲目『まっ赤な女の子』からレコーディング・ディレクターが代わり、曲のイメージも一変しています。小泉今日子当人だけでなくスタッフも、この時期、イメージ・チェンジの必要を感じていたのです。小泉今日子の新しいレコーディング・ディレクターになった田村充義はいっています。

「僕の担当になった段階ではその年の新人さんで5番手から7番手の人だったんです。(中略)もうちょっと上がらないといけない、ほかの人との差別化をしないといけないというのがいちばんにありました」(注2)

 小泉今日子当人は、「古風な清純派路線」を演じるのをつまらないと感じ、スタッフも、このままでは強力なライバルたちに対抗しきれないと考えていました。両方の思惑が合致して、新しい小泉今日子が誕生したのです。

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