日本人が海外で人を殺し、殺される一歩手前まできている?

 今年7月、安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認する憲法の解釈変更を閣議決定したことにより、日本の国防や国際社会における立ち位置は、大きな転換点を迎えることとなった。ただ、その重大性について、あれほど多くの報道があったにも関わらず、それが「なにを意味するか」を理解している人は少ないのではないだろうか。

「集団的自衛権の問題は、様々な思惑と歴史が絡んでいるため、テレビや新聞の解説程度では表面的なことしか分からず、問題の本質にまではとてもたどり着けません」

 そう指摘するのは、本書『日本人は人を殺しに行くのか』(朝日新書)の著者であり、東京外国語大学大学院で国際政治学の教鞭を執っている伊勢崎賢治氏だ。

 伊勢崎氏のもう一つの顔、それは「紛争屋」。以前、国際NGOの職員としてアフリカの貧困問題に取り組み、国連平和維持軍を統括、世界各国の紛争現場で紛争処理や武装解除活動などを行っていた経験を持っている。そうした幅広い活動と豊かな経験、さらに膨大な知識を活かして、同書では集団的自衛権の「本質」について丁寧に解説している。

 まず同書では、現代における国防の方法を「個別的自衛権」「集団的自衛権」「集団的安全保障」の三つに分類できることを解説。これまでの日本では、他国から武力攻撃を受けた場合、過剰防衛にならない範囲で自国のみで反撃できる権利、すなわち個別的自衛権のみが認められてきたが、今回の憲法解釈の変更によって、閣議決定の中に盛り込まれた「新三要件」を満たせば、集団的自衛権も行使できるようになった。

 また、伊勢崎氏は同書の中で、今回の閣議決定について「決して見逃してはいけないことがもう一つある」と指摘する。それは、要件を満たせば集団的安全保障への参加も可能になった、という点だ。

 集団的安全保障とは、国連安全保障理事会の決議が出ている場合に、加盟国が協力して侵略的行為やテロに対抗していく、いわゆる「国連的措置」であり、自国には影響を及ぼす可能性が低い事案であっても、または同盟国でなくても、海外に自衛隊を派遣することが出来るようになるというもの。つまり国連平和維持活動(PKO)などでの、自衛隊の行動の幅を拡大できるということだ。

 伊勢崎氏はそのような状況を踏まえ、権利行使のための要件の一つになっている「我国の存在が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」の具体性の欠如や、判断基準の不明確さなどを批判しながら、アメリカ重視の考えを持つと言われている安倍首相に対して次のような点も指摘している。

「いずれにしても、考えるべきは『アメリカが本当に、日本に集団的自衛権の行使容認を求めているのか?』についてです。もしもアメリカが、本当は、日本に集団的自衛権の行使を求めていないとしたら? それが日本側の単なる思い込みに過ぎなかったとしたら? それが真だとしたら、戦後最大の憲法に関する問題である、集団的自衛権の行使容認騒動は無益どころか、国益を大きく損なうことになってしまいます」(同書より)

 本のタイトルが示すように、安倍政権の決定に大いに疑問を抱く伊勢崎氏。その一方で、あとがきでは自身の論考について「反論をしたい方々も、たくさんいらっしゃるかと思います」とも記している。たしかに集団的自衛権の行使容認が、即、戦争につながるかのような主張を“サヨクの戯言”として一蹴する人も少なくないだろう。しかし、本当に「それ」は戯言なのだろうか。もちろん意見は分かれる話だ。ただ、今後、日本人は人を殺しに行くのか――現段階で、その問いに対して我々日本人は、果たして100%否定することができるだろうか。

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