鈴木:徳間康快という人は、読売新聞時代、読売争議に参加するんですよ。鈴木東民という編集局長兼組合委員長が読売新聞の民主化のために第一次争議、第二次争議を起こす。読売新聞は大変なことになるんですけど、徳間康快は鈴木東民を尊敬していたんでしょう。青年行動隊長を引き受けるんだけど、鈴木東民以下負けて、レッドパージに遭い、その後読売新聞を辞めざるをえなくなるんです。その後に始めた出版社が「真善美」。中野正剛っていう戦時中の右翼の大立者の息子さんを社長に担ぎあげて、戦後に真善美社を立ち上げるんですよ。で、中村真一郎や福永武彦、加藤周一の本を出したり、野間宏の『真空地帯』も出した。あとで考えるときら星のごとく、第3の新人や戦後派の作家をデビューさせるんですけど、結局本は売れなくて1年も経たないうちに苦境に追い込まれて潰さざるをえなかった。で、徳間康快は「志だけでは食っていけない」と、次に「アサヒ芸能」をやった。彼は「敦煌」という映画を作ったんです。なんていったって井上靖の純文学ですよ。どこかに真善美の精神が残っていたんですね。ところが商売的には「アサヒ芸能」だと。純文学をエンターテイメントにすることを考えた人なんですよね。僕が直接聞いたのは、徳間が終生お付き合いしたのが野間宏だったんです。本人の語るところによれば、『真空地帯』は担当編集者だったらしいですが、「難しいからな。読んでも分からなかった」と(笑)。

半谷:「コクリコ坂から」の徳丸社長の社長室に3冊立てかけてあって、ひとつが『少年愛の美学』。

鈴木:あれはね、徳間書店で出したんですよ。稲垣足穂の。結構いろんな本を残しているんですよね、あの人。なんでもいいから面白けりゃいいと。僕は教えられたんですよ。第一に面白いこと。第二に多少意味があること。これはね、徳間康快の哲学だったんですよ。

半谷:ジブリのドキュメンタリー映画「夢と狂気の王国」(2013年公開)の冒頭のシーン、スタジオ入り口の木彫りのトトロの上に二人の方の写真がある。一人が日テレの氏家(斉一郎)会長。もう一人が徳間康快社長でした。
スタジオジブリにとってお二方への恩が伺えました。

■社員総会で徳間社長が一喝!

鈴木:だからあれ(「コクリコ坂から」の徳丸社長の登場シーン)は明らかに(脚本を手がけた)宮崎駿が追悼の意味を込めたんでしょうね。思い出したんですけど、井上靖の「敦煌」で大成功したから、次もまた井上先生でやろう、「おろしや国酔夢譚」だと。ある日僕のところに徳間社長から電話があったんですよ。「敏夫、今度、『おろしや国酔夢譚』の製作委員会をやるから、お前も参加しろ」と。信じられなかったんですよ。だって前々から「紅の豚」は1992年7月に公開することが決まっていた。そうしたらそこに「おろしや国酔夢譚」という企画をぶつけてくるんですよ。わかります? 2本同時公開なんですよ。簡単に言うと、「紅の豚」の邪魔をしようとしてきたんですよ。映画の公開の2~3カ月前の大会議に行くと、100人ぐらいいるんですよね。僕関係ないから隅っこの方に座って黙って聞いていたんですよ。徳間康快が「この映画はすごいんだ」とか言ってね、いろいろ演説するわけですよ。僕、「あー仕事どうしようかな、『紅の豚』まだあがっていないしな」とか余計なことを考えていたんですよ。そしたらいきなり「敏夫~」って。「お前は俺の今の話を聞いててどう思った。お前の本心をお前が言わないなら俺が言ってやろう。お前の本心は『おろしや国酔夢譚』がコケて、『紅の豚』が当たればいいと思っているんだろう」って(笑)。

半谷:まさに劇場型ですね。

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