6月の第3日曜日は父の日。今年は6月15日にあたる。

 起源は1909年のアメリカ・ワシントン州。南北戦争後、男手ひとつで育ててくれた父親のために、牧師にミサ(礼拝)を依頼した娘の、その感謝の思いから広まったという。

 あれから100年。

 日本では1970年代以降、少しずつ浸透した父の日だが、父親像は昔と様変わり。姉妹のような母娘同様の「友達親子」も最近では少なくないらしい。

 今年の父の日はワールドカップの日本戦。大画面の前で同志のように燃える父子の姿も多く見られることだろう。

 朝日新聞の長期連載「おやじのせなか」には、多分野にわたる著名人が登場し、父親との思い出を語っている。頑固一徹、万年青年、きまじめ…さまざまな父親に、さまざまな父子関係がありながらも、子はなんらかのかたちで父親の姿から、生き方の自分軸を見いだしている。

「おやじのせなか」に登場するエピソードが自分とまったく重ならずとも、読んだ後に胸がほのかにあたたかくなるのは、自身が子育てをするようになったからだろうか。
きずなのあり方はそれぞれにせよ、親子という因縁をもってこの世に生まれてきたことの重みは歳を重ねるほどに胸に迫ってくる。

 ここ数年、理想の父親像のアンケート類が行われると、必ずといっていいほど上位にランクインしているのが所ジョージ氏。

 多趣味でおおらかに人生を楽しんでいる姿に大人の魅力やあこがれを感じるようだ。
イクメン増加中だが、仕事に忙しく子どもとの時間を十分にもてない父親もまだ少なくない。思春期になると、父子の距離は遠くなり会話がほとんど無い関係にも。
自分の父親は昭和一けた生まれ、やはり忙しい人で一緒に過ごした時間の記憶が薄い。
が、父が趣味で描いていた油絵の道具や、自作のパイプをくゆらすときの深い香りとロッキングチェアのきしむ音、愛車を磨く姿、そんな断片がつながり、父の存在がどっしりと自分の中に刻まれている。

 せなかで語り、趣味に没頭する。そんな姿を通して、父から子へ、ダイレクトなコミュニケーションを介さなくても静かな継承が繰り広げられる場が、家だ。そのとき重要なのは空間のありかたである。ミサワホームは、自在に空間を構成できる「自由空間」や、スキップフロアによって生まれた空間を有効活用する「蔵」など、住むこと自体を楽しむ家を次々に提案しているが、ミサワホーム近畿が大阪あべのハルカスに「男の城づくり宣言」と掲げてしつらえている趣味の空間も、そうした楽しみを存分に感じさせてくれる場だ。 (http://www.misawa-kinki.jp/kakurega/

 趣味やこだわりの数々に表れるのは、「父」や「夫」の肩書を外したひとりの人間の個性。それは、知らず知らずのうちに子どもへと受け継がれていくのだろう。

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