日本のプロ野球史上、通算400本以上ホームランを打った選手は歴代で18人。1位は言わずもがな王貞治の868本で、2位は野村克也の657本、3位は門田博光の567本と続く。

 プロ野球のデータ解析を専門とするスポーツアクセス社の代表で、野球を題材にしたノンフィクション作品でも知られる、作家・小野俊哉氏。同氏が4月30日に上梓した、歴代の名スラッガー66人を本塁打数だけにとらわれず多角的に分析した著書『プロ野球最強ホームラン打者』(朝日新書)によれば、もし野村克也が一塁手だったら本塁打は800本を超えていたかもしれないという。

 野村が打った657本塁打のうち、22.5%を占める148本が先制ホームランで、この割合は王とほとんど変わらない。また、初回の先制ホームランは72本で、野村は初回の第一打席を意識していたというのだ。

「イニング別の本塁打率でもっとも優れているのが初回でした。野村の通算本塁打率は15.94(※15.94打席に1本の割合)ですが、初回のそれは12.97。2回が15.69、3回が18.12。そして8回、9回は19.03、16.59と、初回だけが優れているのです」(※編集部註)

 小野氏は、野村は守備の要としての負担があったことで、全イニングに全力を注ぐことは難しかったのではないかと分析する。一方、王は守備の負担が軽くホームランバッターに多い一塁手である。野村が一塁手であった場合を想定すると、本数はどう変わるのだろうか?

「野村の通算である1万472打数に初回の本塁打率12.97を適用すると、結果は807本とはじかれました。(中略)捕手でなければ657本塁打と807本塁打の中間ぐらいは打ったのではないか。であれば、中間は732本塁打。すなわち、あのアメリカンレジェンドであるベイ・ブルースの714本を上回ることになります」

 しかし本書には、もし野村が捕手でなければ、南海ホークスに入団できなかった可能性があるという記述も。1954年当時、所属捕手の高齢化が進んでいた南海ホークスは、体力のある若い捕手を求めていたのだそうだ。

「野村はカベ採用(※)されたのです。ブルペン専用の捕手は体力が必要だからです。もし野村が他の捕手、投手で入団テストを受けていたら不合格だったはずで、パ・リーグの歴史は違う道をたどっていたことでしょう」(※カベ=壁。ブルペンキャッチャーの意味)

 日本プロ野球選手会によれば、選手の平均寿命は約9年であるのに対し、野村はその3倍も選手生活を送っている。しかし、もし野村が本当に一塁手であったらどうなっていただろうか? 「たら、れば」の妄想にロマンが膨らむが、いずれにせよ、野村が球界を代表する名選手であったことには変わりない。