5月12日、ブラジルW杯を戦う日本代表23人が、アルベルト・ザッケローニ監督によって発表された。

 会場となったグランドプリンスホテル高輪の「プリンスルーム」には大勢の報道陣が詰めかけ、海外メディアの姿もチラホラ。300席近く用意された記者席がほぼ満席となり、カメラマンや関係者も合わせると500人近いマスコミ関係者が集結した。

 多くの記者が現場でパソコンを起動させ、「速報」をその場で記事にしていた。サプライズや当選落選の悲喜こもごもはいつものことだが、とにもかくにも、このメンバーでわれらがニッポンは5回目のワールドカップに挑むことになる。

 1998年の初出場から数えると、日本が送り出したW杯戦士は総勢78人にのぼる。ここで日本代表の変遷を振り返っておこう。98年のフランス大会ではゼロだった海外組は、2002年の日韓共催大会で中田英寿(パルマ)や稲本潤一(アーセナル)ら4人を招集。06年のドイツ大会は中村俊輔(セルティック)や高原直泰(ハンブルガーSV)ら6人、10年の南アフリカでは本田圭佑(CSKAモスクワ)や長谷部誠(ヴォルグスブルグ)ら4人だったが、今回は過去最多の12人となった。香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)や長友佑都(インテル・ミラノ)らビッグクラブからの招集のほか、ドイツ1部リーグから6人を呼ぶなど、実にチームの半数が海外組という編成になる。

 個人に目を向けると、日本の初出場以来、過去4大会のすべてで選出されてきた川口能活と楢崎正剛の両GKが今回、初めてメンバーから外れた。

 フィールドプレーヤーに限れば、中田英寿、小野伸二、稲本潤一の3回が最多選出だが、今回の発表で遠藤保仁がこれに並んだ。

 また、これまで最も多くのW杯戦士が輩出したJクラブである鹿島アントラーズにも異変があった。98年の名良橋晃、相馬直樹、秋田豊らを皮切りに、02年には大量6人をトルシエジャパンに送り込み、06年、10年にもそれぞれ2選手が選出され、累計13選手(秋田や柳沢敦など複数大会に出場している選手は大会ごとにカウント、以下同)をW杯のピッチに立たせてきた名門ながら、今回のメンバーに現役の選手はゼロだったのだ。OBの内田篤人や伊野波雅彦、大迫勇也らに期待がかかる。

 いっぽう、5大会連続の選出となったのは、鹿島に次いで累計11人のジュビロ磐田と、同じく9人の横浜F・マリノス(合併前の98年は横浜マリノス)だ。

 ジュビロ磐田は98年にW杯初ゴールを記録した中山雅史に始まり、02年と06年には福西崇史が選出。10年には駒野友一が岡田ジャパン最年少でメンバー入りした。その駒野や前田遼一の落選で伝統が途絶えるかと危惧されたが、昨年、移籍してきた伊野波がリストに入り、連続記録をつないだ。

 横浜F・マリノスは98年の井原正巳、02年の松田直樹、06年10年の中澤佑二らがGK川口と共に日本のゴールを守ってきた伝統があった。今回は栗原勇蔵が期待されていたが、守備陣からは選出されず、ジョーカー的な働きが期待される斎藤学の名前が挙がった。

 ザッケローニ監督は「このメンバーで主導権を握った試合をしたい」と抱負を口にした。日本代表は来週から鹿児島県指宿で合宿を張り、27日にはキリンチャレンジカップ2014でキプロス代表戦に挑む。ついに固まったザックジャパンのお手並み拝見だ。

※()内の所属クラブはすべて当時のものです。

ライター:竹田聡一郎
1979年神奈川県出身。04年からフリーランスとしてサッカーを中心にスポーツの取材を重ねる。著書に『日々是蹴球』(講談社)などがある。ブラジルW杯は5月中旬から現地に潜入し、dot.など各種メディアで縦横無尽に現地レポート予定。