カリスマ家政婦が遭遇
<それぞれの“こだわり”>

遭遇事件簿(1)「ボールペンの替え芯は捨てないで」
 比較的モノの量は少なめの書斎で、デスク周りの棚卸しをしていたときのこと。紙袋をぐるっと巻いた塊が出てきました。中を確認すると、ボールペンの替え芯がたくさん入っていました。未使用ではありません。使い切って、インクのなくなった替え芯です。

「これは…なんですか?」

捨て損ねたゴミかな、それにしてもこの量はすごいなと思い、処分していいかどうか依頼者に尋ねると、思いがけない答えが返ってきました。

「あ、それ僕のです。社会人になってから使ったボールペンは、芯だけ全部残しているんです。捨てないでください」

 そういう思い出の残し方があるのか!とびっくりしましたね。事情がわかると、不思議と見え方まで変わってくるもので「これは依頼者のかけがえのない思い出、きっと宝物なんだなぁ…」と、私の胸もじわり温かくなりました。そして、引き続き丁重に保管しました。

 詳しい経緯はお尋ねしそびれてしまい、わかりません。当初は書けなくなったボールペンを全て保管していたけれど、あまりにもかさばるので途中から芯だけ残す方法に変えたようにも見受けられました。いずれにせよ、膨大な量が1カ所にまとめられていたことで「何か意味があるのかも…」と、第三者のアンテナにも引っかかる存在感を放っていたのは確かです。

「使うか使わないか」とは違ったところに価値が生まれる「思い出アイテム」は、ご本人以外には価値が伝わりにくいものです。この事例のように、種類が絞られ、場所がまとめられていると、家族の誤解も防ぎやすいでしょう。

遭遇事件簿(2)「ダッフィーの蓋はどこですか?」
 その家のリビング収納は、空き箱や空き缶を使って文具やご夫婦の私物が収められていました。全ての箱・缶にはしっかり蓋がされていたため、全てのモノを出して入れ直す棚卸し作業は、まるで宝探し状態。「そっか、これにモノサシとかを入れたんだった」「こっちは消しゴムだよ」「未使用の消しゴムならこちらにも入っていましたよ」「あ、これは妻の会社のノベルティーグッズだな」などと賑やかなやり取りがしばらく続きました。

「見えないモノは忘れてしまう」のは、あらゆる人に共通する片づけのわなです。

 改善策として、(1)よく使うモノのケースは蓋をしないで並べる、(2)個人の私物(思い出)のケースは蓋をして重ねる――、という提案をしました。ところが、試しに作業してみていただくと夫氏がこういうのです。

「ダッフィーの蓋はどこですか?」

 かわいらしいディズニーキャラクターの缶の蓋は、片づけのしくみ上は不要なため、まとめて別の場所に置いていたのですが、「離れた場所に置くのは好きではない」とのことで、すぐ脇にしまうことで納得されました。

 決断力があって迷いのない夫氏は、同時に「箱と蓋が一緒になっていないと気持ち悪い」というこだわりを強くお持ちでした。「かわいいから缶の蓋は捨てたくない」という声はよくお聞きしますが、この方はそうではなく、シンプルなおかきの缶であっても同じように感じられるとのこと。蓋と本体が離れていることへの拒絶感は珍しく、非常に興味深かったのを覚えています。

 個人の感覚的なこだわりが片づけのハードルを上げてしまうことは多いのですが、自分ではなかなか気付きにくいもの。こだわりを尊重しつつ、片づけやすくするための落としどころを見つけていきたいですね。

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