■K代さんの歩みは日本のジェンダー問題そのもの

 K代さんは1966年生まれで今年55歳、学歴は短大卒だ。高校を卒業したと考えられる1984年当時、女子の短大への進学は、あらゆる意味で、4年制大学への進学よりも歓迎されていた。1984年の大学進学率は35.6%、女子の進学率は12.7%だった。しかし短大に限ると、女子の進学率は20.1%に達していた。女子に関して言えば、高校卒業後の進学の選択肢は、「4大」こと4年制大学ではなく、まず短大だったのだ。

 2年制の短大は、4年制大学に比べて在学期間が短く、学費も“安上がり”だ。在学期間が短いということは、“早く就職して、給料で家計や弟妹の学費を助けてくれる”という可能性も意味する。職場での出会いを通じて、20代前半で結婚することも期待できる。これらのメリットが、「女子に教育は必要ない」と考える親たちを「短大なら」と納得させていた。ちなみに、男女雇用機会均等法が制定されたのは、1985年である。

 K代さんは短大卒業後、横浜市役所職員の男性と結婚して専業主婦となり、男児に恵まれた。まさに、当時の社会や多くの家庭が期待する進路を歩んでいたわけである。しかし、一人息子の小室さんが小学生の時に夫が他界し、シングルマザーとなった。

 小室さんは、私立小学校からインターナショナルスクールの中高へ進み、さらに私立大学に進学して眞子さまと出会い、在学中に海外留学もした。当然、多額の学費が必要だったはずである。その学費は、盛んに取り沙汰されるK代さんの金銭トラブルの背景となっている。

 K代さん自身には、自らの職業能力によって高い収入を得て経済的に自立する選択肢があったかもしれない。しかし、2000年前後の日本の雇用市場に、職歴も資格もスキルもない30代のシングルマザーを歓迎する雰囲気は、皆無に近かった。そもそも、K代さんと同世代の女性のほとんどは、幼少期や青年期を通じて、「自らの努力によって能力を高めて成果を獲得する」という機会を与えられてきていない。筆者は、K代さんの人生を全面的に支持しているわけではないが、同世代の女性として、「なぜ、そうなるのか」を理解することはできる。

 語弊を恐れずに言えば、K代さんは「隠れ貧困女性」として人生を送ってきた。十分な収入のある親や夫に扶養されている限り、外見的には「貧困」ではない。夫が他界した後は、遺族年金によって生活が底上げされている。しかしながら、「自分で獲得した」といえる収入や資産が少ないという意味において、K代さんは「隠れ貧困女性」なのである。K代さんの幼少期、選択の余地なく与えられてきた社会環境や教育は、女性をそのような立場に留め置くものであった。扇情的に伝えられるK代さんのディテールにあえて目をつぶると、「有利な結婚、そして幸せな専業主婦としての生活」というレールの上に乗り続けていたはずなのに、中途でレールが消えてしまい、状況に翻弄されながら何とか息子を育て上げて生き抜こうとしてきた50代女性の姿が浮かび上がってくる。

 いずれにしても、K代さんが高齢期とともに「隠れ貧困女性」から「貧困女性」へと移行するのは、誰かに扶養されない限りは時間の問題だ。しかし、日本には生活保護がある。皇室と縁ある人々が生活保護で暮らしてきた実績もある。

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「私は本当に幸せ」生活保護で暮らした元華族女性も