●前近代的な学校スタンダード 抑圧に耐える児童と教員

 もっとも、「よい子」を振る舞っている児童全員が、前出のケースのような“裏で糸を引く主犯格”タイプというわけではない。ほとんどの児童は別な傾向があるようだ。

「『よい子』を振る舞う児童は、わからないことを素直に『わからない』と言えないという特徴があります。なぜなら、もしそんなことを口にしたら、前述したようなリーダー格の児童から『なんだお前、そんなこともわからないのか』とばかにされ、学級内でのヒエラルキーが落ちてしまうからです。また、授業中に先生が児童に『これについて君はどう思う?』と尋ねても、ほとんど誰も返事をしてくれないケースもあります。その理由は、万が一変な回答を言ってしまってばかにされたくないということと、仮に正解を言ってしまうと今度は『調子に乗るな』とやっかまれてしまう。児童たちの多くは、自分の発言が周りにどう受け止められるか常に思慮をめぐらしているようです」

 こうした児童が増えている原因として、一つには「学校スタンダード」が昔より強化されていることがあるという。学校スタンダードとは、児童に対して授業を受ける際の望ましい姿勢や、持ち物の規定などを詳細に決めたルールのことだ。

「学校スタンダードは、たとえば体育館や校庭では無言で列に並ぶ、掃除の時間には教室の窓を開ける、廊下の踊り場で遊ばないなど事細かく決められています。ある小学校では、職員室から校長室までの間の廊下は『サイレント通り』と名付けられ、休み時間であっても私語厳禁という謎ルールもあります。本来、休み時間中におしゃべりするのは別に普通のことですが、もししゃべっている児童がいたら先生に『サイレント通りでは静かにしなさい!』と怒られ、その子たちの担任の先生も校長や副校長に『児童をしっかり管理しなさい』と指導されます。学校という組織は保護者やマスコミなどから常に監視されているため、保守的な考え方に染まりやすく、担任は児童がどれだけ学校スタンダードを順守しているかで評価されてしまうのです」

 そのため、ほとんどの教員は学校スタンダードに従わざるを得ず、その影響は児童にも暗い影を落としている。

「学校スタンダードによって児童は自分で物事を考える力をそがれています。ルールを逸脱して罰を受けるのが嫌、先生に叱られるのが嫌という理由だけで、他者の痛みや思いやりの気持ち、物事への納得感なども得ないままに、ただ従順に育ってしまう。こうしたダークペダゴジー(強制や賞罰などを用いた教育行為)を受け、従順さを求められながらも“創造性”が必要だと矛盾したことを言われたり、小学生の段階から“将来の夢”を持つようにとプレッシャーをかけられる。その結果、どんどんストレスがたまっていき、『よい子』を振る舞いつつも、いじめなどの問題行動に走ってしまうのでしょう」

 現在は学校スタンダードを徐々になくしていこうとする風潮もあるが、それによって再び学級崩壊が起こるリスクを懸念する声もある。あるいは、学校スタンダードがあるから校内の秩序が保たれているという言説も根強いため、抜本的な改革には至っていないのだ。

次のページ
親が与える条件付きの愛と自己責任論がいじめを加速