●東宮で開催していた「お見合いの会」

 さて、1990年くらいになると、皇太子妃候補に小和田雅子さんが浮上していることを知りました。私に、週刊文春記者として、皇太子のお妃候補を追跡せよという指示が下ったのはちょうどそのころです。女性週刊誌はいざ知らず、一般週刊誌は皇室記事などほとんどなかった時代。まずは、知り合いの知り合いをたどって、少しでも詳しいニュースソースをつくるのが仕事です。

 幸運にも、たまたま知り合ったニュースソースの証言は今から考えても、正確でまったくぶれませんでした。最初から、「皇太子さまは、絶対に小和田雅子さんがお好きだと思います」とのこと。

 皇太子さまの周囲の人々を取材すると、みんな皇太子さまのお人柄が大変好きだということが伝わってきます。それは、本当に気配りのできる人だということにつきました。

「お見合い会のようなことを、よく東宮で開催されます。周囲がお妃候補と推薦されている女性とその友人、複数をご招待して食事会をされるのです。次に、もう一度その人が招待されると、皇太子さまが気になっている人ということになります。皇太子さまは、その人がどの料理を美味しいといっていたか、どの料理を残したかを、きちんと記憶していて、次回の料理の指示を出されるのです」

 そんなやりとりの中で、小和田雅子さんは特別な扱いだったといいます。

「皇太子さまは、美智子さまを尊敬され、理想の女性だと思っておられました。容姿端麗で教養もある雅子さんがお好きというだけでなく、天皇になる運命と責任を負っている方だからこそ、一緒に国を担う人と心に決められていると思います」

 外務省勤務の小和田雅子さんへの取材はエスカレートしていきました。雑誌記者の中には、張り込んで隠れて撮影したものの、雅子さんにみつかり、ネガを提出させられたカメラマンまで出てきました。あまりの報道の過熱ぶりからか、小和田雅子さんが皇室入りに消極的だという情報が流れ、いつしかマスコミのお妃有力候補リストから外れだしましたが、私のニュースソースは断言していました。

「雅子さんしかいません」

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