●「模倣」ではなく「再構成」
ピカソが代表作の1つである《アビニヨンの娘たち》を描いたのは1907年、マティスが《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》を発表した少しあとのことです。アビニヨンというのはスペインの地名であり、ここには5人の娼婦が描かれています。
そう、カメラがこの世に登場したことによって、「目に映るとおりに描く」という従来のゴールが崩れ、「アートにしかできないことはなにか」という問いが浮かび上がってきた時代です。ピカソは、それまで誰も疑わなかったことに疑問を持ちました。
「『リアルさ』っていったいなんだろう?」
以前であれば、こんな問いについてわざわざ考えるまでもなかったでしょう。なぜなら、ピカソよりもおよそ500年前のルネサンスの時代に、遠近法という明確な「答え」が出ていたからです。リアルさを追求したければ、遠近法の技術を応用すればいいだけのことです。
しかしピカソは、「既存の答え」の延長線上では満足できませんでした。彼は、子どものような新鮮な目で世界を見つめ直し、「自分なりの答え」を探そうとしたのです。
彼は「『1つの視点から人間の視覚だけを使って見た世界』こそがリアルだ」という遠近法の前提に疑問を持ちました。
実際、遠近法が描こうとする世界は、私たちがものを見るときのそれともかなり違っています。
私たちは1つの位置からある対象物を見ているときでも、これまでそれについて得てきた知識・経験を無意識に前提にしています。加えて、そもそも視覚だけを使って見るということもあり得ません。3次元の世界では、つねに五感をフル活用してものごとをとらえているはずです。
そう、私たちは、さまざまな情報をいったん頭に取り込み、脳内で再構成して初めて“見る”ことができるのです。
「半分のリアル」しか描けない遠近法に疑問を持ったピカソは、私たちが3次元の世界をとらえている実際の状態により近い「新しいリアルさ」を模索しました。
そうしてたどり着いたのが、「さまざまな視点から認識したものを1つの画面に再構成する」という彼なりの答えでした。
その結果生まれた表現が、《アビニヨンの娘たち》だったのです。