マイクロソフトはなぜスマホ時代の敗者となったのか、元アスキー西和彦が語る (1/6) 〈ダイヤモンド・オンライン〉|AERA dot. (アエラドット)

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マイクロソフトはなぜスマホ時代の敗者となったのか、元アスキー西和彦が語る

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Photo by Kazutoshi Sumitomo

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 ビル・ゲイツとWindowsを開発、その後、袂を分かって日本に帰国し「アスキー」の社長になった西和彦氏。現在は、東京大学でIoTに関する研究者として活躍している。日本のIT業界を牽引したと言っても過言ではない西氏に、まずはWindowsの開発について語ってもらった。

●自叙伝をまとめて改めて思う 15年刻みで転機迎えた私の人生

 2016年、松の内が明けると同時に、私は、「自叙伝」の執筆を始めた。そんな気になったのは、2月に60歳を迎えることに加え、マイクロソフトのビル・ゲイツと共にMS-DOSやWindowsの開発に没頭した過去のいきさつなどについて、書き残しておくことが重要だと思っていたからだ。そして、パソコンやインターネットの創生期から関わってきた者として、これからの未来についても考えを記しておく責任があると考えていたこともある。

 自伝をまとめてみて改めて確認できたのは、私の人生は「15年刻み」で転機を迎えていることだった。今、62歳だから、結局、私の人生は四つの“時代”で成り立っていたことになる。

 最初の15年は、「電気少年」の時代だ。物心ついた頃から、プラモデルやラジオの製作、アマチュア無線などに夢中になった。身の回りにあるものは、何でも分解して中身を確認しないと気が済まなかったほどだ。初めてコンピュータに触れたのは1972年、16歳の時だった。

二つ目の15年は、大学在学中にパソコン雑誌(当時はマイコンと呼ばれていた)を創刊したことから始まり、米国では同世代のビル・ゲイツという若者がWindowsの開発を進めていることを知って、その開発に参画すると共に、Windowsベースの日本語版のパソコンOSの開発を進めていた時代だ。大学生から30歳くらいまでの頃だ。

 80年代初頭だったこの頃、私は日本と米国を毎月2往復するような生活を続けていた。今でこそ、海外を飛び回るビジネスマンは当たり前になったが、当時は、海外赴任を命じられたら数年は帰国できないような時代。そんな頃に、日米を頻繁に往復する生活は特異なもので、それだけパソコン革命の胎動に並々ならぬエネルギーを感じていたのだ。


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