彼はパリのパンの名店「ドミニク・サブロン」が日本に進出した際の元統括シェフで、日本で食パンの名人と言われる10人のうちの1人だという。

 ただ、会ってみると、茶髪にピアスといういかにも今どきの若者の出で立ちで、77歳の私にしてみると、まともにコミュニーケションが成り立つのか不安なほど。「いやぁ、困ったなぁ」というのが第一印象だった。しかし、製パン機のメーカーを一緒に回り、夜遅くまで酒を酌み交わすうち、パン作りに対する並々ならぬ情熱を感じることができた。

 私と榎本さんは、ある有名店の食パンをベンチマークに据えた。その食パンは「究極の」という評判を取っている。

 私たちはフランスの小麦、フランスの水、フランスのイーストなどを取り寄せて1つずつ課題を潰し、“俺の食パン”を模索した。しかしその店に勝てる食パンはなかなかできない。そんなとき俺のイタリアンのシェフから紹介されたのが岩手県で山地酪農に取り組んでいる「中洞(なかほら)牧場」だった。

 シェフは中洞牧場の牛乳やチーズ、バターを使っており、榎本さんが取り組んでいる食パンに「中洞牧場の牛乳を使えば間違いなく日本一になれる」と言ってくれた。居ても立ってもいられなくなり、私たちは盛岡からレンタカーで牧場をめざした。

 山地酪農とは、牛を山に放し飼いにして野芝で育てる方法だ。配合の濃厚飼料を使って育てられる牛の寿命は4~5年だが、中洞牧場では20年も生きる。つまり牛にストレスがない。そもそも肉牛でも乳牛でもストレスのない牛は美味しいと言われてきた。

 まさにその通りだった。その牛乳は濃かった。といっても市販の濃厚牛乳とは違い、牛乳が体に浸みてくる力強さを実感できる牛乳だった。「これだ!」と思ったのは榎本さんも同様だった。

 2016年11月に第1号店としてオープンした、恵比寿ガーデンプレイスにある俺のBakery & Cafeでは、この食パンを使ってシェフがサンドイッチに腕を振るっている。卵サンドだけで1ヵ月に4000個を売るほどだ。やはり食パンの決め手は牛乳だった。

 もちろん中洞牧場の中洞正さんたちと良い関係でお付き合いさせていただいての話だが、おそらくこの食パンは、10年間は向かうところ敵なしで展開できるだろう。メニューのライフサイクルが短い飲食業界にあって、俺のBakery & Cafeの食パンは不動の競争力を維持するのは間違いないと自負している。なぜなら、本当に美味しいのだ。

(俺の株式会社社長 坂本 孝)